全 情 報

ID番号 04522
事件名 解雇無効確認請求事件
いわゆる事件名 西日本鉄道事件
争点
事案概要  いわゆるレッドパージに際して使用者が一定期限までに退職願を提出することを勧告し、かつ、その期限までにこれを提出しないときはその翌日をもって解雇する旨の意思表示をした場合において、右の期限後に提出された退職願の効力が争われた事例。
参照法条 労働基準法2章
民法93条
民法96条
民法90条
体系項目 退職 / 合意解約
退職 / 退職願 / 退職願と心裡留保
退職 / 退職願 / 退職願と強迫
裁判年月日 1956年1月10日
裁判所名 福岡地
裁判形式 判決
事件番号 昭和28年 (ワ) 1411 
裁判結果 棄却
出典 労働民例集7巻1号213頁
審級関係
評釈論文
判決理由 〔退職-合意解約〕
 一方前記のごとく被告が原告等に対し退職勧告の通告書を発したのであるが、原告等は、いずれもその頃通告書を受領し、当時の社会情勢等を考慮の末結局右勧告に応じて退職することを決意し、それぞれ被告主張のごとく会社に対し、退職願を提出し、被告がこれを受理したのである。
 更に原告等は、右提出と同時に前記のとおり被告から退職金及び特別退職金を受領すると共に「退職に関し一切の異議を申立てぬ」旨の記載ある会社所定の受領証を提出し、又同月二十八日付で共済組合から特別脱退餞別金及びその頃労働組合から餞別金を、それぞれ受取つた。又十月三十日に退職願を提出したXほか二名の原告等は、被告と合意の上、退職願をその提出期限前に提出したものとして取扱い、その提出及び退職金、特別退職金受領の日付をいずれも同月二十八日に遡及させた。よつてここに各原、被告間の雇傭契約は合意により被告のなした条件附解雇の効力の発生前すでに昭和二十五年十月二十八日付で解除されたものと認定するのが相当である。
 もつともXほか二名の原告等については、その退職願の提出が、その提出期限経過後であるため、それはすでに解雇の効力発生後になされたものであつて合意解除が成立しないとの疑問が生ずるかもしれない。しかしながら一般の法律行為においても、法律に特別の定めなく、又第三者の利益を害しないかぎり、当事者間の合意で、その効力発生の時期を、行為の成立以前に遡及させる取扱いをすることは、何ら支障がないのみならず、特に本件の期限は、被告が、原告等に対し、任意退職の勧告に応ずるか否かの考慮期間を設け、且つ右期限までに退職願を提出すれば、(前記のごとく共済組合からの特別脱退餞別金増額の形式で)退職金を増額支給する等、特別の利益を与えるために定められたものと解すべきであるから、前記三名の原告等につきその退職願提出日を所定期限前に遡及させることは、右原告等に何らの不利益も与えない。〔退職-退職願-退職願と心裡留保〕
 〔中略〕、当時は、原告等にとり任意退職の勧告に応ぜず、解雇の効力を争うには必ずしも有利な社会情勢ではなく、原告等が、退職願を提出するに当り、多少なりとも、内心に不満を有していたであろうことはこれを推測するにかたくない。しかしながら当時組合が、原告等に対し「会社の認定に納得せず、法廷闘争をしようとするものには、組合員の資格を保持させ、組合財政の許すかぎり経済的にも援助する。」旨言明していたにもかかわらず、原告等は、いずれもそのような挙に出ずることなく、それぞれ退職願を提出し、退職金等を受領しているのである。又原告等は、その際「退職に関し一切の異議を申立てぬ。」旨の記載ある受領書を提出しており、且つその後本訴提起〔中略〕に至るまで三年余もの間、裁判の申立等は勿論、被告或は組合に対し特別の異議を申立てたことを認めるべき証拠はない。よつてこれらの事実を綜合すれば、原告等は、真実任意退職の意思で退職願を提出し、又退職金等も文字どおり退職金等として受領したものであると、認定するのが相当である。
 更に仮に、原告等が、退職願提出の際、内心任意退職の意思を有していなかつたとしても、被告が原告等の真意を知り又はそれを知り、得べかりし事情にあつた場合でなければ、右書面の提出が真意によらざることを理由として前記合意解除の無効を主張することは許されず、このことは労資間の法律行為においても特に例外を認めなければならぬ首肯すべき根拠はない。けだしもしそのような例外を認めるとすれば、相手方の不知に乗じて退職金名義の金員を支払わせ、それにより不当の利益を得るという、詐欺類似の行為を黙認することになると共に、後に至り相手方に表示されざる内心を理由に、すでに安定した事実状態を覆し得るという、取引の安全上、好ましくない結果を導くことにもなるからである。しかして本件においては、被告が、原告に真実退職の意思がなかつたことを知り、又は知り得べかりし事情にあつたと認めるに足る証拠がなく、むしろ被告がそのような疑いを懐かなかつたからこそ、前記のごとく原告等に対し退職金を増額して交付したものと解すべきである。〔退職-退職願-退職願と強迫〕
 更に原告等は、前記の合意は、被告が、原告等の窮迫状態に乗じ共産主義者もしくはその同調者、或は熱心な組合活動家であつた原告等を、故意に排除する目的で成立させたものであるから、憲法、労働基準法、労働組合法等に違反し、民法第九十条に該当する無効のものであると主張している。しかしながらまず被告が原告等に対してなした退職勧告の目的は、すでに認定したとおり破壊的言動をなし、業務秩序を紊る等の行為のあつたものを整理することにあつたのであるから、それにより成立した合意に何ら違法性又は不当性を認めることができないのは明かである。そこで次に原告等の主張を、右合意の隠れたる実質的動機の違法性又は不当性についての主張であると解しても、被告のなした退職の勧告が、原告等主張のような動機でなされたと認めるに足りる証拠はなく、結局特別の反証なきその動機は、前記の目的と同一であると解するのが相当である、もつとも〔中略〕の証言によれば会社が昭和二十四年の暮頃からその従業員につき共産党員及びその同調者の存否の調査をしていたことが認められ、又〔中略〕各本人尋問の結果によれば右原告等が共産党員、又はその同調者であつたことが窺えるけれども、同原告等は全被整理者のうちの一部にすぎず、且つ証人A(第一回)の証言によれば会社従業員のうちには、共産党員でありながら退職の勧告等を受けなかつたもののあることも認められるのであるからただそのような事実のみを以て前記退職勧告の動機が共産主義者又はその同調者を且つそれだけの理由で、排除するにあつたと認定するのは困難であり、〔中略〕原告等のうち相当数のものが組合の中央執行委員、中央委員、支部委員、代議員その他の組合役員の経歴を有していたことが窺えるが、しかしながら〔中略〕右人数は全組合役員数のごく一部にすぎなかつたことが認められ、且つ右のものがただそのような経歴を有するが故に退職を勧告されたと認める証拠もないのであるから、やはりこの一事のみを以て熱心な組合活動家を排除することが、本件退職勧告の動機であつたと解することはできない。よつて以上の事実も前記認定と矛盾するものではない。
 又前に認定したとおり、本件合意解除当時の社会情勢が、多少原告に不利であつたとはいえ、原告等は所定期限内に退職願を提出して任意退職をするか、或は右期限内に退職願を提出せずして解雇の効力を争うか、その何れかを選択する自由を有しており、且つ解雇の効力を争う場合には組合の経済的援助をも期待できたのにかかわらず、諸般の事情を考慮の結果、任意退職の途を選んだものであり、更にその間被告において原告等に退職願を提出させるため特別の工作をなしたと認めるべき証拠もないから、右合意が、それを無効とせねば公序良俗に反するような窮迫状態のもとに成立したとは認められない。