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ID番号 05089
事件名 労災保険不支給処分取消請求事件
いわゆる事件名 和歌山労基署長事件
争点
事案概要  昭和一〇年から一九年にかけてベンジジンの製造に従事してきた労働者に労災保険の施行後発生した疾病につき労災保険が適用されるか否かが争われた事例。
参照法条 労働基準法129条
体系項目 労災補償・労災保険 / 補償内容・保険給付 / 時効、施行前の疾病等
裁判年月日 1986年5月14日
裁判所名 和歌山地
裁判形式 判決
事件番号 昭和57年 (行ウ) 1 
裁判結果 認容(控訴)
出典 労働民例集37巻2・3合併号226頁/時報1212号104頁/タイムズ596号27頁/労働判例476号26頁/労経速報1265号17頁/訟務月報33巻4号918頁
審級関係 控訴審/05248/大阪高/平 1.10.19/昭和61年(行コ)18号
評釈論文 岩出誠・昭和61年度重要判例解説〔ジュリスト臨時増刊887〕212~214頁1987年6月/西村健一郎・季刊労働法141号156~163頁1986年10月/保原喜志夫・判例評論344〔判例時報1243〕41~45頁1987年10月
判決理由 〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-時効、施行前の疾病等〕
 労災保険法とともに労働災害に対する基本法である労基法の経過規定についてみるに、同法第一二九条は、「この法律施行前、労働者が業務上負傷し、疾病にかかり、又は死亡した場合における災害補償については、なお旧法の扶助に関する規定による。」と定めており、右条文はその規定の仕方からして、旧法の扶助に関する規定が適用されるのは、労基法施行前にすでに災害補償の対象たる疾病等が発生していた場合であると解するのが自然であり、右規定も前記労災保険法の右説示の解釈を裏づけるものとなっている。
 3 また通常の用語例によれば、「事故」とは結果の発生を意味するものとして使用されることからすると、労災保険法、労基法の各経過規定は立法当時原因行為によって短期間で結果の発生するいわゆる災害性疾病を予定しており、発病と原因行為との間に長時間の隔たりのあるいわゆる職業性疾病は予想していなかったと考えられる。
 〔中略〕
 確かに、労災保険制度の制定過程からみて、右制度が労基法上の使用者の災害補償義務を肩代りするものとして出発したことは明らかであり(この点については原告も明らかに争わない。)、その後の幾多の法改正を経て、適用範囲の拡大、年金制度の導入、費用の一部国庫負担等が図られた結果、現行制度が、労基法で定める個別使用者の災害補償義務のみからは説明できない面を持つに至っていることは原告が主張するとおりであるにせよ、労災保険法第一二条の八第二項により保険給付の支給事由が労基法のそれと同一とされていること、労基法第八四条第一項で、保険の機能として、使用者の災害補償責任を免責させる効果が法定されていること、労災保険事業に要する費用の一部について国庫補助が行なわれているものの、(証拠略)によれば、国庫補助が費用全体に占める割合は昭和五〇年度から同五七年度にかけて〇・一五パーセントないし〇・二六パーセントにすぎないことが認められることからすれば、現在においても労災保険事業に要する費用はほとんどすべて使用者が負担する保険料によって賄われているというべきであること等に照らすと、なお労災保険制度は個別使用者の災害補償責任を担保する趣旨のものであり、制度の本質に変化はないものといわざるを得ず、又労基法施行前に使用者であったものに対し、何らの限定をつけることなく同法で定める使用者の災害補償義務を負わせることができないことは、同法に右義務を遡及させる規定が存しないことからみて明らかである。
 2 しかしながら、右の事から、直ちに労災保険法上の「業務」を同法施行後の業務に限定して解釈すべきいわれはなく、むしろ以下に述べるところからすれば、本件被災者らには労災保険法を適用できると解すべきであり、そう解しても労災保険制度の趣旨には反しないというべきである。
 (一) 労災保険法施行前後の災害補償のしくみは、別表(二)に記載したとおりであり、労基法が施行されたことにより新たに災害補償義務を負うことになった使用者及び同法施行前に事業を廃止した結果、同法上の義務を負うことのなかった使用者は別として、工場法等旧法下においてもすでに補償義務を負い、労基法施行後も事業を継続させた使用者にとっては、同法の制定は、補償義務の内容を強化する結果をもたらしたにすぎず、右義務の本質に変化が加えられたわけではない。このことは、ともに使用者の災害補償義務を定めた規定である、工場法第一五条と、労基法第七五条ないし第七七条、第七九条、第八〇条との文言の対比上からも明らかである。
 そうだとすれば、旧法下において事業を営み、労基法施行後においても右事業を継続させた結果、同法で定める補償義務を負うに至った使用者については、旧法の廃止は補償義務の消滅をもたらすものではなく、右義務は労基法上の義務に包含されて存続しているというべきであり、右使用者にとっては、たとえ法形式上旧法の廃止と労基法の制定という形がとられたにせよ、その実質は旧法下の補償義務がその改正によって強化されたものにすぎないと解するのが相当である。
 さもなければ、日本国憲法下の労働立法にふさわしい内容を有するものとして、労働者の権利を充実させるべく立法された労基法の制定により、かえって使用者の災害補償義務を免責する結果をもたらすことになり、これが労基法制定の趣旨に反することはいうまでもない(なお、右補償義務についての解釈が、右義務に違反した場合の罰則の適用とは無関係であることは、労基法第一三〇条の規定からも明らかである。)。
 (二) 次に保険料の納付義務についてみるに、この点においても、労災保険法の施行前後を通じて事業を継続させ、旧法下においても保険料の納付義務を負っていた使用者については、(一)で災害補償義務について述べたと同一の理由により、労災保険法の制定はいわば使用者の負担すべき保険料の額を増額させたにすぎず、同法施行前後を通じて保険料の納付義務に変化はないというべきであり、このことは労働者災害扶助責任保険について、労災保険法第五七条第四項が、労働者災害扶助責任保険を締結している者が、労災法施行後の期間に属する保険料を既に払込んでいる場合は、右保険料は、労災保険の保険料に充当することができる旨規定していることからも裏付けられる。
 してみると、使用者が労災保険法上の保険料納付義務を負っていない時期に業務に従事したことの一事をもって、被災労働者に保険給付を支給しない根拠とはなし得ないというべきである。
 五 以上述べたことから明らかな如く、当該被災労働者の使用者が、工場法等旧法下においても災害補償義務を負い、労基法施行後も事業を継続している場合において、労災保険法施行前の業務によって同法施行後に疾病の発生した労働者に対しては労災保険法の適用があると解すべきところ、本件についてこれをみるに、本件被災者らが、別表(一)記載の就労事業所において業務に従事した事実は当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、右各就労事業所が工場法の適用要件を満たす事業所であったこと、右事業の使用者が労基法、労災保険法施行後においても右事業を継続したことが認められるから、本件被災者の疾病が業務に起因したと認められる限り(本件では疾病と業務との因果関係の有無が処分事由となっていないので、これにつき検討を加えない。)、本件被災者に労災保険法の適用があるというべきである。