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ID番号 05248
事件名 労災保険不支給処分取消請求控訴事件
いわゆる事件名 和歌山労基署長事件
争点
事案概要  労災保険法施行前にベンジジンの製造業務に従事し後に膀胱がん等に被災したことにつき、同法が適用されるとした事例。
参照法条 労働者災害補償保険法7条
労働者災害補償保険法57条2項
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 職業性の疾病
裁判年月日 1989年10月19日
裁判所名 大阪高
裁判形式 判決
事件番号 昭和61年 (行コ) 18 
裁判結果 棄却(上告)
出典 労働民例集40巻4・5号560頁/時報1351号51頁/タイムズ710号82頁/訟務月報386巻8号1388頁/労働判例550号55頁
審級関係 一審/05089/和歌山地/昭61. 5.14/昭和57年(行ウ)1号
評釈論文 宮島尚史・労働法律旬報1230号4~9頁1989年12月25日/品田充儀・社会保障判例百選<第2版>〔別冊ジュリスト113〕130~131頁1991年10月
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-職業性の疾病〕
 (一) 使用者の労基法上の災害補償義務の存否について
 工場法に定められていた扶助義務と労基法上の補償義務の内容は前記のとおりであるが、右両者間の補償項目に差異はなく、そのうち療養補償と休業補償については、補償内容も同一である(以下特に断らない限り、労基法及び労災保険法の内容は、昭和二二年の法施行直後のものをいう)。違いは障害補償と遺族補償の内容であって、労基法上の義務は工場法上のそれの二倍強となっている。しかし、右の程度の差異は工場法による扶助義務の内容と労基法による補償義務の内容との間に質的相違をもたらすものではなく、いわば労働者保護の程度に量的な差異があるにすぎず、両法間には連続性があるというべきである。そして、このような場合に、旧法時代に原因を有する疾病が新法施行の後に顕在化して発病した場合、労働者にいかなる権利を付与し、その反面使用者にどのような義務を負担させるかは、立法政策の問題であって、法理論上の原理原則は存しない。けだし、工場法及び労基法はいずれもいわゆる社会政策的立法であるから、立法当時の社会的な要請に応じ、その内容を自由に定めることが許されるものと解せられるからである。なお右の点については、犯罪の成否や犯罪に対する刑罰の内容を定めたものではないから、厳密な意味での罪刑法定主義の原則の適用の余地はないものというべきである(したがって、使用者に労基法上の義務を認めたとしても、そのことと労基法上の補償義務違反に対して労基法上の罰則が適用されるかどうかとは別問題である。)。
 そこで、労基法においては右の点につきいかなる立法政策が採用されたとみるべきかであるが、労基法は右のような場合には、発病時点における労働者保護法である労基法を適用し、使用者にそこに定めた災害補償義務を負担させることとしたと解するのが相当である。けだし、第一に、「事故」の意義についての説示において指摘したとおり(原判決一九枚目裏九行目冒頭から二〇枚目裏二行目末尾まで)、旧法時においては発病がないのであるから、その時点では使用者の工場法に基づく扶助義務の内容が全く不明であり、発病によって初めて使用者の負う義務内容が具体的に明らかになること、第二に、本件のように著しく長期間の潜伏期間を有する疾病(平均一八年、最長四五年)の場合には、原因となる業務が行われてから発病するまでの間に、社会的経済的環境は、国家全体としても、使用者及び労働者の個人的レベルにおいても激変していることが予想され、そのような場合には、時代の要請に応じた定めがされているであろう発病時の法を適用するのが労働者及び使用者双方の合理的利益に合致すると考えられること、第三に、労基法は、日本国憲法下で労働者の権利を強化するために立法化されたものであるから、この立法により、使用者の災害補償義務が免責され、逆に労働者の権利が制限される結果となることは極めて不合理であること、第四に、労働者の疾病が「業務上の事由」に起因するものである以上、発病が遅れて新法が適用され、結果として使用者の補償責任が加重されたとしても、使用者はこれを受忍すべきであると考えられること、第五に、労基法上、本件のような場合の適用を否定すべき明文の根拠はなく、かえって、先に認定したとおり(原判決一九枚目表六行目冒頭から二三枚目表一〇行目末尾まで、前記1(四)の訂正後のものを含む。)、その経過規定は旧法の適用を否定していると解されること、以上の諸点を勘案すると、労基法は、本件のような場合にも発病時点を基準として適用され、本件被災者らの使用者らは、労基法上の災害補償義務を負担すべきものと解するのが相当である。
 (二) 労災保険法適用の可否について
 右のように、使用者に労基法上の補償義務を肯定すべきものとする以上、使用者の義務を保険することを主たる使命とする労災保険法の管掌者である政府は、使用者が労災保険法施行後も発病の原因となった事業を継続し、その結果保険関係が成立するに至った場合には、その時点で労働者は既に退職して事業に従事していなかったとしても、労働者に対して労災保険法上の保険給付義務を負担するものと解するのが相当である。けだし、第一に、労災保険法においては、一定の要件に適合する事業については、それが法施行前からのものである場合には、法施行と同時にその事業につき保険関係が成立し、この保険関係は適用事業について生じるものであって、保険加入者は使用者であり(六条)、個々の労働者との関係で発生するものではないこと、第二に、労災保険法一七条は、保険料の算定につき使用者が虚偽の告知をしたときは保険給付をしないことができると定め、一八条は、保険料の滞納期間中に発生した事故については保険給付をしないことができると規定していたが、第九二回帝国議会衆議院労災保険法案委員会議録第二回(昭和二二年三月二二日)によれば、右委員会において、政府委員は、右規定はごく例外的な場合にのみ適用を予定している旨説明していたし、その支給制限規定も昭和四〇年法律第一三〇号によって削除され、現在では保険料の支払の有無に関係なく保険給付がなされることになっており、保険料の支払と保険給付との関係は薄くなっていること、第三に、〈証拠〉によれば、労災保険法はその制定当初においても労基法に定める以上の労働者保護制度を設けることが可能とされていたことが認められるところ、その後の改正(例えば、昭和四八年法律第八五号による通勤災害に対する保険給付規定の新設)によって、現実にも労基法による使用者の災害補償義務を保険するという性格を多少弱めてきていること、第四に、保険関係の旧法すなわち旧健康保険法、旧厚生年金保険法及び労働者災害扶助責任保険法と労災保険法との連続性は、工場法と労基法との連続性ほどには明らかでないけれども、旧健康保険法と旧厚生年金保険法の各業務上の災害部分及び労働者災害扶助責任保険法が労災保険法として一本化されたことは明らかであり、前記のとおり、労働者災害扶助責任保険特別会計の積立金は労働者災害補償保険特別会計に組み入れられており、また、使用者の負担すべき保険料の額が増額し、保険給付の内容が全体として労働者保護に厚くなったほかは、制度的に旧法と新法間に大きな違いがないこと、以上の諸事情を考慮すると、工場法下での業務にその原因を有する疾病であるとしても、発病が労災保険法施行後であるならば、これを適用して労働者を救済するのが労災保険法の立法趣旨に忠実な解釈であると考えられる。