全 情 報

ID番号 05634
事件名 行政処分取消請求事件
いわゆる事件名 社会保険庁長官(夕ワーブリッジ号船長)事件
争点
事案概要  外国航路のコンテナ船の船長が航行中の船内で急性心不全により死亡した事故につき職務起因性なしとして船員保険法に基づいてなされた遺族年金の不支給裁定の取消請求の事例。
参照法条 船員保険法50条
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 脳・心疾患等
裁判年月日 1991年12月20日
裁判所名 東京地
裁判形式 判決
事件番号 平成1年 (行ウ) 84 
裁判結果 認容(控訴)
出典 時報1410号57頁
審級関係
評釈論文
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-脳・心疾患等〕
 右二の2のとおり、Aが最新鋭の高速コンテナ船の船長に就任したのは、B船が最初であり、しかもB船は就航したばかりの船であった。したがって、同人が従前四年ないし五年程度外国航路の貨物船の船長を勤め、荒天時や視界不良時の航海あるいは漁船その他の船舶が輻輳する海域での航海について相当程度の経験を有していたとしても、これに加えて運航の管理をするという面では、操作に習熟していないB船について、その高速性を前提とした厳重な運航スケジュールを遵守する必要があった昭和六〇年一二月以降は同人の業務の程度、内容は従来に比較して飛躍的に加重されたものと認めることができる。そして、Aは、生来生真面目で、責任感が強く、また神経質な性格である上に、昭和五七年に漁網に衝突し漁船を転覆させる事故を起こして罰金刑を受け、またB船に乗り組む約半年程前には船員としては不名誉な戒告の懲戒を受けてもいるのであるから、高速コンテナ船であるB船の船長となってからは、他船や漁網との衝突や接触を避けるという点において、ことに神経質になっていたものと考えられるのであって、このことは乗務員に対する言動をはじめナイトオーダーブックへの頻繁な記入などからも優に裏付けられるのである。そして、Aがこのような状態のまま長時間B船の船長としての業務を継続していけば、疲労(特に神経性の疲労)の相当部分が回復されないまま、蓄積されていくものと推認されるのであって、そのような経緯は、同人が神戸港入港の際に原告に洩らした言葉からも窺い得るのである。そうであるとすれば、乗船以来六か月余が経過し、この間下船することなく、極東北米航路を五往復以上航海した後の本件航海時までには、Aには相当程度の疲労が蓄積されていたと認め得るのである。
 本件航海に出た後である昭和六一年七月一日からのAの具体的な業務内容及びそれによる疲労の程度等については、右二の3及び右(一)のとおりである。そして、右業務内容は、それのみを取り出せば、前記のとおり船長が通常一般に行う業務の範囲を出ないものと評価されるに止まるとしても、これによる疲労の度合いそのものは決して無視できるものではないと認められるところ、右に述べたような従前からの疲労が相当程度蓄積されていることを考慮に入れ、さらに、同人が、その性格や事故歴から、視界不良時や漁船その他の船舶が輻輳している際の航行には特に神経質となっていたこと、同月六日夜には一等航海士に「最近寝付きが悪い」という趣旨のことを洩らし、同月七日夜の甲板長の送別パーティにも異例のことながら疲れ気味であるとして出席を断ったこと、同月八日の同人の顔色や態度、言動などから、同人が相当疲労していることが乗務員にも見てとれる状態であったことを総合すると、本件航海に出てからの業務によりAの疲労の度合いはさらに増していき、これに睡眠不足も加わって、同月八日午前六時一五分に東京港着岸を開始した後、四時間前後の休息を挟んで、同月九日午前三時三一分に伊良湖ベイパイロットに操船指揮を引き継ぐまで、継続して業務に従事していた時点におけるAの疲労及び睡眠不足の度合いは著しいといい得る程度にまで達していたものと優に認めることができる。
 もっとも、右二の3で認定した事実関係によっても、Aが船橋にいなかった時間が少なかったわけではないから、その間に適宜休息ないし睡眠をとっていたとすれば、睡眠不足に陥らなかったのではないかとも考えられる。しかしながら、Aが船橋にいなかった時間帯のうち自室で休息ないし睡眠をとり得た時間が明らかとなる証拠はない上、仮に睡眠等に充てることのできる時間自体は少なくなかったとしても、前記のような当時の同人のおかれた状況及び性格からすれば、操船指揮のため随時起こされることがあり得る状態で充分の睡眠をとり得たかどうかは不明であって、現に同人が不眠症状にあったとの趣旨のことを洩らしていることに照らせば、Aが船橋にいなかった時間が少なくなかったという事実のみでは右認定を覆すに足りない。
 また、Aが本件航海中積極的に身体の異常を訴え、あるいは東京港入港時に医師の診察を受けようとしたことのなかったことは、右二の5のとおりである。しかし、AがB船の船長としての重責を担っており、一方、同人は前認定のとおり自己の健康には自信を持っていたことを考え併せれば、このような事実をもってしても右の認定を左右するには足りないというべきである。
 (2) 右2の(二)のとおり、冠状動脈に心筋梗塞症発症の準備段階である動脈硬化を形成する個別的な危険因子としては、高脂血症、高血圧症、糖尿病、肥満症、適度の喫煙等が挙げられているところ、右三の1の事実によれば、Aについてはこれらの危険因子は存在しなかったものと認められる。
 (3) そうすると、Aの心筋梗塞症の発症については、本件の具体的な状況の下においては、同人がそれまで従事していた業務が、同人の性格や職歴その他の事由とあいまって、同人に著しい疲労及び睡眠不足をもたらしたものと認められるような事情が存在し、かつ、他に同人について心筋梗塞症の発症に寄与したと認められるような個別的な因子が特に見当たらない場合に該当するものといわざるを得ない。
 したがって、その余の点につき判断するまでもなく、本件における下勇の心筋梗塞症の発症は、職務に起因するものと認めざるを得ない。