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ID番号 06243
事件名 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 日鉄鉱業(長崎じん肺)第一事件
争点
事案概要  炭坑で就労しじん肺に罹ったとして労災認定を受けた元従業員が使用者に対して安全配慮義務違反を理由に損害賠償を求めたケースで、損害賠償請求権の消滅時効の起算点が争われた事例。
参照法条 民法415条
民法166条1項
体系項目 労働契約(民事) / 労働契約上の権利義務 / 安全配慮(保護)義務・使用者の責任
裁判年月日 1994年2月22日
裁判所名 最高三小
裁判形式 判決
事件番号 平成1年 (オ) 1667 
裁判結果 一部破棄差戻,一部上告棄却
出典 民集48巻2号441頁/時報1499号32頁/タイムズ853号73頁/裁判所時報1117号2頁/労経速報1521号15頁/労働判例646号7頁
審級関係 控訴審/04737/福岡高/平 1. 3.31/昭和60年(ネ)181号
評釈論文 岡本友子・法律のひろば47巻10号49~57頁1994年10月/岩村正彦・ジュリスト1082号189~191頁1996年1月1日/久保野恵美子・法学協会雑誌112巻12号1774~1789頁1995年12月/高橋眞・判例評論433〔判例時報1515〕218~225頁1995年3月1日/松久三四彦・判例セレクト’94〔月刊法学教室174別冊付録〕21頁1995年3月/松村弓彦・NBL570号68~71頁1995年6月1日/松本久・平成6年度主要民事判例解説〔判例タイムズ臨時増刊882〕60~61頁1995年
判決理由 〔労働契約-労働契約上の権利義務-安全配慮(保護)義務・使用者の責任〕
 雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は、民法一六七条一項により一〇年と解され(最高裁昭和四八年(オ)第三八三号同五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁参照)、右一〇年の消滅時効は、同法一六六条一項により、右損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解される。そして、一般に、安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、その損害が発生した時に成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきところ、じん肺に罹患した事実は、その旨の行政上の決定がなければ通常認め難いから、本件においては、じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けた時に少なくとも損害の一端が発生したものということができる。
 しかし、このことから、じん肺に罹患した患者の病状が進行し、より重い行政上の決定を受けた場合においても、重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が、最初の行政上の決定を受けた時点で発生していたものとみることはできない。すなわち、前示事実関係によれば、じん肺は、肺内に粉じんが存在する限り進行するが、それは肺内の粉じんの量に対応する進行であるという特異な進行性の疾患であって、しかも、その病状が管理二又は管理三に相当する症状にとどまっているようにみえる者もあれば、最も重い管理四に相当する症状まで進行した者もあり、また、進行する場合であっても、じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けてからより重い決定を受けるまでに、数年しか経過しなかった者もあれば、二〇年以上経過した者もあるなど、その進行の有無、程度、速度も、患者によって多様であることが明らかである。そうすると、例えば、管理二、管理三、管理四と順次行政上の決定を受けた場合には、事後的にみると一個の損害賠償請求権の範囲が量的に拡大したにすぎないようにみえるものの、このような過程の中の特定の時点の病状をとらえるならば、その病状が今後どの程度まで進行するのかはもとより、進行しているのか、固定しているのかすらも、現在の医学では確定することができないのであって、管理二の行政上の決定を受けた時点で、管理三又は管理四に相当する病状に基づく各損害の賠償を求めることはもとより不可能である。以上のようなじん肺の病変の特質にかんがみると、管理二、管理三、管理四の各行政上の決定に相当する病状に基づく各損害には、質的に異なるものがあるといわざるを得ず、したがって、重い決定に相当する病状に基づく損害は、その決定を受けた時に発生し、その時点からその損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきであり、最初の軽い行政上の決定を受けた時点で、その後の重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が発生していたとみることは、じん肺という疾病の実態に反するものとして是認し得ない。これを要するに、雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、最終の行政上の決定を受けた時から進行するものと解するのが相当である。〔中略〕
 元来、慰謝料とは、物質的損害ではなく精神的損害に対する賠償、いわば内心の痛みを与えられたことへの償いを意味し、その苦痛の程度を彼此比較した上、客観的・数量的に把握することは困難な性質のものであるから、当裁判所の先例においても、「慰謝料額の認定は原審の裁量に属する事実認定の問題であり、ただ右認定額が著しく不相当であって経験則又は条理に反するような事情でも存するならば格別」である(最高裁昭和三五年(オ)第二四一号同三八年三月二六日第三小法廷判決・裁判集民事六五号二四一頁)とされている。
 しかし、ここで留意を要するのは、上告人らによる本訴請求は慰謝料を対象とするものであるが、物質的損害の賠償は別途請求するというのではなく、かえって他に財産上の請求をしない旨を上告人らにおいて訴訟上明確に宣明し、上告人ら自身これに拘束されているのが本件であることである。
 したがって、上告人らは、被上告人の安全配慮義務の不履行に起因するところの、財産上のそれを含めた全損害につき、本訴において請求し、かつ、認容される以外の賠償を受けることはできないのであるから、本訴請求の対象が慰謝料であるとはいえ、他に財産上の請求権の留保のないものとして、原審が慰謝料額を認定するに当たっても、その裁量にはおのずから限界があり、その裁量権の行使は社会通念により相当として容認され得る範囲にとどまることを要するのは当然である。
 以上の考察に立って本件をみるのに、まず、上告人ら元従業員が被上告人の経営する炭鉱において長期間にわたって炭鉱労務に従事した結果、じん肺に罹患したものであること、じん肺が重篤な進行性の疾患であり、現在の医学では治療が不可能とされ、進行する場合の予後は不良であることは、前示のとおりである。
 そして管理四該当者はすべて療養を要するものとされているが、前記管理四該当者合計二九名の個別の症状の経過及び生活状況に関する原審確定事実によれば、右二九名のうち、原審がAランクに格付けし慰謝料額一二〇〇万円をもって相当とした者は、症状が重篤で長期間にわたって入院し、あるいは入院しないまでも寝たり起きたりの状態であったり、呼吸困難のため日常の起居にも不自由を来すという状況にあり、そのままじん肺に伴う合併症により苦しみながら死亡した者もあること、また、原審がBランクに格付けし慰謝料額一〇〇〇万円をもって相当とした鑑定により軽度障害と判定された者でも、重い咳や息切れ等の症状に苦しみ、坂道等の歩行は困難で、家でも休んでいることが多く、夜間に重い咳が続いたり呼吸困難に陥るため、家族の介護を要するといった状況にあること、右の二九名は総じて、被上告人を退職した後じん肺の進行により徐々に労働能力を喪失して行ったもので、労働者災害補償保険法等による保険給付を受けるまでの間、極めて窮迫した生活を余儀なくされた者が少なくないこと等が明らかである。
 これによると、本件において死者を含む管理四該当者の被った精神的損害に対する評価については、一般の不法行為等により労働能力を完全に喪失し、又は死亡するに至った場合のそれに比してさしたる違いを見出すことはできず、したがって、以上の事実関係の下においては、特段の事情がない限り、原審の認定した一二〇〇万円又は一〇〇〇万円という慰謝料額は低きに失し、著しく不相当であって、経験則又は条理に反し、右にみるような慰謝料額認定についての原審の裁量判断は、社会通念により相当として容認され得る範囲を超えるものというほかはない。