全 情 報

ID番号 06886
事件名 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 イーストマン・コダック・アジア・パシフィック事件
争点
事案概要  英文の退職合意書に署名したことにつき、労働者の無思慮等に乗じてなされたものではなく、有効とした事例。
 退職日の延期は、労働者の再就職の関係による要請に基づくものであり、雇用契約の実質を欠いており、賃金規定などは適用されないとした事例。
参照法条 労働基準法2章
民法90条
体系項目 退職 / 退職願 / 退職願と強迫
賃金(民事) / 賃金請求権の発生 / 賃金請求権の発生時期・根拠
裁判年月日 1996年12月20日
裁判所名 東京地
裁判形式 判決
事件番号 平成6年 (ワ) 21985 
裁判結果 棄却(控訴)
出典 労働判例709号12頁/労経速報1621号3頁
審級関係
評釈論文
判決理由 〔退職-退職願-退職願と強迫〕
 2 (証拠略)が公序良俗に反し、無効であるか否かを検討する。
 (一) 本件合意書における原告の署名が、原告の無思慮、無経験、軽卒(ママ)に乗じてなされたものであるか否かについて
 (1) (証拠略)、原告本人尋問の結果及び前記争いのない事実等によれば、被告は、米国A社の一〇〇パーセント子会社として設立された外資系企業であり、外国人が駐在し、英語を用いて業務が行われるのが常態であって、従業員に対する通知等も英文で行われることが少なくなかったこと、原告は、研究開発センター・テクニカル・ビジネス・リサーチの上級研究職員として採用され、昭和六一年四月から本件合意書を作成した平成三年一二月までの五年以上もの間、重要な立場において就労してきていること、また、原告は、被告に入社する前、外資系企業であるB株式会社において勤務し、右在職中、米国に所在する同社本社の米国中央研究所において勤務した他、米国大学院にも在籍していた経歴を有していたこと、さらに、原告は、原告自身の詳細な履歴書や業務に関する状況報告書を英文で作成する力を有していることがそれぞれ認められ、これからすれば、原告は、本件合意書を作成した当時、相当程度英語の理解力を有していたことが推認される。また、被告の原告に対する退職勧奨は、平成三年一〇月末から始められ、そのころから同年一二月初旬にかけ、原告の上司であるC研究開発センター所長が、原告に対し、退職日を平成四年三月末までとか、同年四月まで等として、急ぐように原告の退職を求めていたことは、原告の認めるところである上、原告本人尋問の結果によれば、原告は、平成三年一二月二〇日にも、被告の人事部門業務担当の人事部長D(以下「D人事部長」という。)と退職の話をしたり、同人事部長から再就職斡旋を業とするE社において再就職の準備を行うように言われ、原告自身同日E社を訪ね、同社から説明を受けていたこと、さらに、原告は、同月二六日に本件合意書をD人事部長から示された際、本件合意書中に原告の退職金についての記載があることを認識していたことがそれぞれ認められ、これらからすれば、本件合意書が原告の退職について記載された書面であることは、原告にとって、十分予測可能なものであったと認めることができる。
 (2) 以上からすれば、原告は、内容を理解した上で、本件合意書に署名したと認めるのが相当であり、本件合意書の内容が理解できないまま署名したとする(証拠略)及び原告本人尋問における原告の供述部分は直ちに信用することができず、他に原告が、内容を理解しないまま署名したことを認めるに足りる証拠もない。そうすると、本件合意書における原告の署名は、原告の無思慮、無経験、軽卒に乗じてなされたものとは認められない。
 (二) 原告に対し、本件募集要領を適用せず、本件合意書に署名させたこと等が公序良俗に反するか否かについて
 被告では、本件合意書作成時点において本件募集要領が公表されていなかった上、具体化もされていなかったことは後に認定するとおりであって、本件全証拠によるも、原告及び被告が、本件合意書の内容での取決めをなし、また、原告が本件合意書の条件を受け入れることとしてこれに署名したことが公序良俗に反すると認めるに足りる特段の理由は認められない。
 (三) したがって、本件合意書に無効事由は認められず、原・被告間における退職合意は有効であると認められる。
〔賃金-賃金請求権の発生-賃金請求権の発生時期〕
 (二) 退職日延期の合意の有無及び原告の請求の可否について検討する。
 (1) 原・被告間には、退職時期延期についての明確な合意は、本件全証拠によるも認められない。また、本件合意書作成後における原・被告間の関係は、右(一)に認定したとおりであり、平成四年五月以降、原告の被告における就労の事実(なお、〈証拠略〉及び原告本人尋問において、原告は、被告から、E社に通勤することが被告に勤務することになると言われたとするが、原告のE社における前記活動は、専ら原告の求職活動のためのものであって、被告の業務とは無関係であるから、これを被告の業務遂行と同視することはできない。)あるいは就労の予定が全く認められないことからすれば、右認定事実を基に、原・被告間に原告の退職時期延期の合意があったと推認することもできない。確かに、被告は、平成四年五、六月に、原告に対し基本給の六〇パーセント相当額の金員を賃金名目で支払い、同年七月まで原告の社会保険を継続させてはいたが、これは、単に、原告の再就職を容易にし、再就職先の決まらない原告の生活を助ける目的で、外形的に被告に在籍している形を残すと共に右の内容に限定して原告を経済的に援助していた恩恵的措置に過ぎないものと認められ、退職後における在職証明書の発行もその一環であり、離職票及び電子メールにおける原告の退職日の記載も形式的なものであり、退職日延期合意の存在を前提とした帰結であるとは認められない。
 そうすると、雇用契約の存在を前提に、原告が、被告に対し、賃金等、賞与不足分及び退職金不足分の支払いを求める点は、いずれも理由がない。