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ID番号 : 08476
事件名 : 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 : 神奈中ハイヤー(受動喫煙)事件
争点 : タクシー運転手が、慢性気管支炎に罹患したことにつき安全配慮義務違反を争った事案(労働者敗訴)
事案概要 : タクシー運転手が、会社に対し、喫煙者が乗車するタクシーに乗務させられたために慢性気管支炎に罹患したのは会社が被害防止措置を怠ったからだ、として労働契約に基づく安全配慮義務違反又は不法行為を理由とする損害賠償を請求した事案である。
 横浜地裁小田原支部は、会社は、労働契約に基づき、受動喫煙の危険性から運転手の生命・健康を配慮すべき義務を負い、その内容は、喫煙への暴露時間や暴露量を含め、受動喫煙の危険の態様、程度、被害結果の状況などに応じ、具体的な状況に従って決すべきであるとし、一方、乗務員においても、受動喫煙による体調の変化については明確に会社に告知することが必要である、とした。
 そのうえで、原告が特に異議を述べることなく喫煙車に乗務し、体調不良を明確に訴えることもなく、かつ会社の健康診断結果には特に異状がなかったことから、本件では会社には安全配慮義務違反がなかったとして訴えを棄却した。
参照法条 : 民法415条
民法709条
体系項目 : 労働契約(民事)/労働契約上の権利義務/安全配慮(保護)義務・使用者の責任
裁判年月日 : 2006年5月9日
裁判所名 : 横浜地小田原支
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成16(ワ)590
裁判結果 : 請求棄却(控訴)
出典 : タイムズ1229号248頁/労働判例943号84頁
審級関係 : 控訴審/東京高/平18.10.11/平成18年(ネ)2982号
評釈論文 :
判決理由 : 〔労働契約-労働契約上の権利義務-安全配慮(保護)義務・使用者の責任〕
 2 前記認定事実に照らすと、原告は、被告に雇用され、タクシーの乗務員として勤務していたのであるから、被告は、その従業員である原告に対し、労働契約に基づき、施設若しくは器具等の設備管理、又は、原告が被告若しくは上司の指示の下に遂行する業務にあたり、原告の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負うものと解される。〔中略〕
 厚生労働省策定の新ガイドラインにおいても、労働者の健康確保と快適な職場環境の形成を図る観点から、一層の受動喫煙防止対策の充実を図ることを求めていることに照らせば、被告は、当該施設等の状況に応じ、一定の範囲内において受動喫煙の危険性に照らし、原告の生命及び健康を保護すべき義務を負っているというべきである。
 もっとも、その義務の内容は、上記受動喫煙の危険の態様、程度、被害結果の状況等に応じ、具体的な状況に従って決すべきものである。受動喫煙の危険性が、急性の目、鼻、頭痛等の諸症状や、慢性的影響としての肺がんや循環器疾患等のリスクの上昇を示す疫学的研究があることに照らせば、その義務内容についても、受動喫煙の暴露時間や暴露量を無視して、一律に論ずることはできない。
 ところで、タクシーの車内での喫煙は、前記認定とおり、一律に暴露時間、暴露量が定まるわけではなく、当日の乗客が喫煙をしたか否か、その時間、天候等により窓の開放ができたか、空気清浄機の使用等により、異なってくる。しかしながら、タクシーの車内は、乗客が車内で窓を開放せずに喫煙するときには、分煙が不可能な狭い密閉された空間であるから、タクシーの乗務員は、乗客がたばこを吸った場合には、受動喫煙することになる。
 したがって、タクシー業者としては、タクシーの乗務員が、受動喫煙の危険性から生命及び健康を害しないように配慮すべき安全配慮義務を尽くすためには、タクシーを禁煙とし、タクシー乗務員が、受動喫煙の被害を受けることを減少させるように努めるべきであり、そのためには、タクシーの全面禁煙化を早期に実現することが望ましいというべきである。〔中略〕
 これを、タクシーについて見ると、タクシーにおいては、乗客が車内で喫煙をすることにより、タクシーの乗務員の受動喫煙を避けることはできないため、本来は、可能な限り、タクシーを禁煙とすることが相当であるが、他方、乗客の乗車中の喫煙について、タクシーを全車禁煙とするまでの間、喫煙車と禁煙車とにこれを分け、乗客の喫煙を一定の限度で認めると供に、喫煙車に乗務する乗務員の健康状況を定期的に診断し、その受動喫煙による健康への影響を十分監視し、健康状態への被害が生じないように配慮する義務があると考えることが相当である。そして、タクシー乗務員の体調の変化を知り、その変化に応じて、従業員であるタクシー乗務員の受動喫煙による体調の変化等を知るためには、定期健康診断の結果に加え、上記のように、タクシー車内での受動喫煙の暴露量、暴露時間はそれぞれ異なり、タクシーに乗務している間、終始受動喫煙に曝されるわけではなく、急性の症状は、タクシーの乗務員の自らの申告等がなければ、タクシーの乗務員が、受動喫煙による体調の変化をきたしていることは分からない。
 したがって、タクシーの乗務員においても、自らの受動喫煙による体調の変化については、明確に、雇主に告知することが必要である。告知があるにもかかわらず、雇主が、これを放置するなどし、これにより、タクシー運転手に被害が生じた場合には、雇主は、安全配慮義務違反を理由に、因果関係のある損害についてその責任を負うと解することが相当である。
 (3) そこで、本件について、これを検討すると、前記争いのない事実等、前記認定事実のとおり、原告は、前記のように、一般のタクシー乗務員としての被告の募集に応じて応募し、採用され、当初の職員教育においても、従業員である原告は、タクシー車内では喫煙をしてはいけないことを言われたものの、タクシーの車内では、乗客が喫煙をすることは、禁煙タクシーでない限り許されることを知りながら、タクシー乗務員として勤務していたものであること、そして、被告に受動喫煙についての要望を初めて行ったのは、平成15年6月の班長会議への提案が最初であり、乗務開始からほぼ1年が経過した平成16年7月1日付けの手紙(乙6)でも「最近は逆受動喫煙の悩みや、お客様から受けた傷害事件等で勤労意欲がなくなりつつあります。」、「禁煙タクシー導入」の提案についてのみであって、原告が、受動喫煙により、深刻な被害を受けていることについての具体的な指摘はなく、同月27日付けの手紙(乙7)の中でも禁煙車輌を求めることと、事務所内の全面禁煙の希望であり、具体的な健康被害についての指摘はなく、被告は、原告の健康診断の結果が、特に異常なしとされていたことから、本件訴訟の訴状に添付されていた診断書(甲1)が送付されるまで、知り得ない状況にあったことが認められる。
 そして、被告は、上記診断書の送付を受けてからは、原告の乗務に際し、原告の体調に配慮し、平成16年8月21日からは、原告を喫煙タクシーの乗務から外し、被告において、禁煙タクシーへの乗務の準備が調った同年10月2日からは、禁煙タクシーへの乗務をさせ、今日に至っているのである。
 もっとも、原告は、入社して間もなくしてから、受動喫煙による健康被害を自覚するようになり、平成15年の年末ころにはだんだんとひどくなったこと、乗務している4日間はひどく、休みの日の2日間は割とやわらぐこと、体の異常を感じてから、戊谷班長に相談をしたこと、医師の診断を受けたこと、平成16年4月以降にタクシーの車内でのたばこが原因だと思うようになったことなどを供述する。しかしながら、証人辛本の証言、乙6、乙7によれば、原告は、本件訴訟以前に、原告の受動喫煙による健康被害について、被告に具体的に訴えたことを認めることはできず、その他、原告の主張を認めるに足りる的確な証拠はない。
 そうすると、被告は、原告が、喫煙タクシーに乗務することにつき、原告が特に異議を唱えることなく乗務し、その体調の不良を被告に明確に訴えることはなく、健康診断の結果にも特に異常がなかったのであるから、安全配慮義務に違反していたとすることはできず、原告が、甲1の診断書により、自ら受動喫煙の被害を訴えてからは、事務所においては、必要な期間をおいて禁煙とし、タクシーの乗務については、その健康状態に配慮して勤務をさせ、喫煙タクシーに乗務させているのであり、原告が被害を訴えてから、禁煙タクシーを導入するまでの期間等を考慮すれば、被告において、直ちに、原告を禁煙タクシーに乗務させなかったことが安全配慮義務に違反するとはいえず、上記本件の経緯に照らせば、被告において、安全配慮義務を尽くしたとすることが相当であり、被告において、安全配慮義務違反がない。