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ID番号 : 08601
事件名 : 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 : ハヤシ(くも膜下出血死)事件
争点 : くも膜下出血により死亡した従業員の遺族が安全配慮義務違反を理由とする損害賠償を求めた事案(原告勝訴)
事案概要 : 産業用ロボット製作会社の製造部長がくも膜下出血により死亡した事故につき、遺族が会社に対し安全配慮義務違反を理由とする損害賠償を求めた事案である。 福岡地裁は、労働者が長時間にわたって業務に従事する状況が続くなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると心身の健康を損なうことは周知の事実であり、したがって、会社は被用者との雇用契約上の信義則に基づいて労働時間、休憩時間及び休日等について適正な労働条件を確保する義務を負っているが、部長が精神的・肉体的に疲労を蓄積させる過重な勤務状況にあったにもかかわらず改善策をとろうとしたとはおもえず、逆にこれを放置していたと認められ、部長がこのような過重な業務状況に陥ったのは会社の杜撰な労務管理に起因するとした。その上で、部長の業務による本件発症との関係では、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうる程度に認められ、相当因果関係があるといえるとして安全配慮義務違反を認定した。ただし、疲労が相当蓄積した状態にありながら部長がなお喫煙を続けていたこと等の事情を考慮して損害額の20パーセントを減じた。
参照法条 : 民法415条
民法709条
労働基準法2章
体系項目 : 労働契約(民事)/労働契約上の権利義務/安全配慮(保護)義務・使用者の責任
労災補償・労災保険/損害賠償等との関係/慰謝料
裁判年月日 : 2007年10月24日
裁判所名 : 福岡地
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成17(ワ)3316
裁判結果 : 一部認容、一部棄却(控訴)
出典 : 時報1998号58頁
労働判例956号44頁
審級関係 :
評釈論文 :
判決理由 : 〔労働契約(民事)-労働契約上の権利義務-安全配慮(保護)義務・使用者の責任〕
〔労災補償・労災保険-損害賠償等との関係-慰謝料〕
(2) 安全配慮義務違反  ところで、労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、心身の健康を損なう危険があることは周知のところである。したがって、被告は、被用者との雇用契約上の信義則に基づいて、業務の遂行に伴って被用者にかかる負荷が著しく過重なものとなって、被用者の心身の健康を損なうことがないよう、労働時間、休憩時間及び休日等について適正な労働条件を確保する義務を負っていると解される。〔中略〕 3 争点(2)(相当因果関係)について (1) 相当因果関係の存否の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的な証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、業務と死亡の直接の原因となったくも膜下出血との関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを要し、かつ、それで足りるものと解すべきである。 (2) 前記認定のとおり、医学的知見によれば、くも膜下出血の原因の多くは、脳動脈瘤の破裂であること、脳動脈瘤破裂の誘因として最も直接的に作用するのは、脳動脈瘤に加わる血行力学的圧力であること、疲労蓄積や心身消耗状態などの存在が脳動脈瘤破裂の強力な誘因になり得ること、喫煙習慣がくも膜下出血のリスクファクターになること、長時間労働は、脳血管疾患をはじめ、虚血性心疾患、高血圧、血圧上昇などの心血管系への影響があると指摘されていること、長時間労働が脳・心臓疾患に影響を及ぼす理由は、〈1〉睡眠時間が不足し疲労の蓄積が生ずること、〈2〉生活時間の中での休憩・休息や余暇活動の時間が制限されること、〈3〉長時間に及ぶ労働では、疲労し低下した心理・生理機能を鼓舞して職務上求められる一定のパフォーマンスを維持する必要性が生じ、これが直接的なストレス負荷要因となること、〈4〉就労態様による負荷要因(物理・化学的有害因子を含む。)に対するばく露時間が長くなることなどが考えられており、このうちでも、疲労の蓄積をもたらす要因として睡眠不足が深く関わっていると考えられること、長期間にわたる長時間労働やそれによる睡眠不足に由来する疲労の蓄積が血圧の上昇などを生じさせ、その結果、血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させる可能性があること、1日6時間程度の睡眠が確保できない状態は、労働者の場合、1日の労働時間8時間を超え4時間程度の時間外労働を行った場合に相当し、これは1か月間で、おおむね80時間を超える時間外労働を行った場合を想定されていることが認められる。  これを本件についてみると、太郎は、前記判示のとおり、その地位や業務内容からして、精神的にも負担のかかる業務を行っており、時間外労働時間も、発症前1か月79時間2分、発症前2か月74時間15分、発症前3か月95時間40分、発症前4か月92時間30分、発症前5か月82時間30分、発症前6か月126時間38分、発症前7か月127時間40分、発症前8か月79時間5分、発症前9か月168時間26分、発症前10か月101時間10分、発症前11か月108時間16分、発症前12か月104時間35分という、80時間を超えるか、若しくはこれに近い長時間労働であり、しかも、平成15年8月には盆休みを取れず、平成16年1月も正月休みを1日しか取れていないこと、本件発症時のわずか4か月前である平成15年10月の時点では、血圧179/109㎜Hgと血圧が上昇したことがあり、一時的に正常値に戻ったものの、なお高血圧症に戻る可能性がある状態であったこと、太郎は、本件発症当時、勤務中に、1日当たり約20本ないし30本のたばこを吸っていたことが認められるのであるから、このような事実関係を前記医学的知見に照らせば、太郎は、精神的にも負担がある長時間労働を長期間にわたって行い、これにより精神的肉体的疲労が蓄積し、その結果、1日当たり約20ないし30本という喫煙習慣と相まって、血圧が上昇し、脳動脈瘤の破裂を引き起こし、本件発症に至ったものと推認することができる。  以上によれば、太郎の業務による本件発症という関係は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得る程度に認められるのであり、相当因果関係が認められるといわなければならない。〔中略〕 6 争点(5)(損益相殺)について (1) 労災保険による支給  ア 遺族補償年金  前記争いのない事実等記載のとおり、原告らは、遺族補償年金として1004万5315円の給付を受けているところ、これにより、この給付の対象となる損害と同一の事由に当たる死亡逸失利益について、損害のてん補がされたと認められ、よって、その価額の限度で被告は賠償責任を免れる。  イ 遺族特別支給金及び遺族特別年金  前記争いのない事実等記載のとおり、原告らは遺族特別支給金及び遺族特別年金の給付も受けているところ、遺族特別支給金及び遺族特別年金は、労働福祉事業として被災労働者の遺族に特別に支給されるものであり、被災労働者の損害をてん補する性質を有するものとは認められないから、遺族特別支給金及び遺族特別年金を控除することはできないというべきである。  ウ 葬祭料  前記争いのない事実等記載のとおり、原告らは、葬祭料として97万7700円の給付を受けているところ、これにより、この給付の対象となる損害と同一の事由に当たる葬儀費用について、損害のてん補がされたと認められ、よって、その価格の限度で被告は賠償責任を免れる。  これに対し、原告らは、葬祭料は見舞金的性格の支給額であるから損益相殺の対象とならない旨主張するが、葬祭料が葬儀費用と同一の事由の損害に当たることは明らかであって、労災給付は、その支給額いかんによりその性格が変化するものではないから、原告らの主張は採用できない。