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ID番号 : 08765
事件名 : 遺族補償給付及び葬祭料不支給処分取消請求控訴事件
いわゆる事件名 : 国・福岡東労働基準監督署長(粕屋農協)事件
争点 : 農協職員の自殺につき、妻が遺族補償年金及び葬祭料不支給処分の取消しを求めた事案(妻勝訴)
事案概要 : 農協に臨時職員として採用され、その後正規職員となって勤務していた労働者が自殺(縊死)したことにつき、業務上の事由により罹患した精神障害によるものであるとして、妻が、労基署長のなした遺族補償年金及び葬祭料不支給処分の取消しを求めた事案の控訴審である。 第一審福岡地裁は、当該労働者の業務には自殺に至るほどの精神障害に憎悪を生じさせる程度に過重の心理的負荷があった一方、業務以外の出来事には特段の心理的負荷は認められないなどとして業務起因性を認定し、請求を認めたため国が控訴。 第二審福岡高裁は、業務起因性の基準につき〔1〕業務による心理的負荷、〔2〕業務以外の要因による心理的負荷、〔3〕個体側の反応性、脆弱性の3つを総合考慮して行うべきとした。その上で、本件は〔1〕の要因と〔3〕の要因とが相俟って、さらに、全くの畑違いの業務に従事させる配置転換が過度に大きな心理的負荷を与え、その後の推進業務での過酷なノルマ等の心理的負荷が複合的に加わる中で精神障害を発症したもので、当該業務に内在する危険の現実化と認められるとして、第一審を支持した。
参照法条 : 労働者災害補償保険法16条
労働者災害補償保険法17条
労働者災害補償保険法7条
体系項目 : 労災補償・労災保険/業務上・外認定/業務起因性
労災補償・労災保険/業務上・外認定/自殺
労災補償・労災保険/補償内容・保険給付/遺族補償(給付)
労災補償・労災保険/補償内容・保険給付/葬祭料
裁判年月日 : 2009年5月19日
裁判所名 : 福岡高
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成20行(コ)21
裁判結果 : 棄却
出典 : 労働判例993号76頁
審級関係 :
評釈論文 :
判決理由 : 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-業務起因性〕
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-自殺〕
〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-遺族補償(給付)〕
〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-葬祭料〕
2 業務起因性の判断基準等について
(1) 労働者の精神障害による自殺が「労働者が業務上死亡した場合」に当たるというためには、当該精神障害が労基法施行規則別表第一の二第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することを要すること、すなわち、当該精神障害の業務起因性が認められなければならないことは、冒頭に説示したとおりである。そして、労災保険制度が、危険責任の法理に基づく労働基準法上の使用者の災害補償責任を担保する制度であることからすれば、ここでの業務起因性は、単なる条件関係では足りず、業務と当該精神障害との間に相当因果関係が認められることを必要とし、これを認めるためには、当該精神障害が、当該業務に内在する危険が現実化したものであると評価し得ることが必要であり、その評価は、平均的な労働者の受け止め方を基準として、〈1〉業務による心理的負荷、〈2〉業務以外の要因による心理的負荷、〈3〉個体側の反応性、脆弱性を総合考慮して行うのが相当である。ただし、「平均的な労働者」の受け止め方を基準とするといっても、労働者の年齢、経験、資質、性格、健康状態等はまさに多種多様であって、このような事情をおよそ考慮しないというわけにはいかないのであり、むしろ、当該労働者の年齢、経験などの客観的な要素は当然考慮すべきである。また、それ以外の資質、性格、健康状態など、多分に主観的・個別的要素についても、それが当該職場における通常の労働者の範疇から逸脱した全く特殊な事情ということではなく、かつ、使用者側においても当該事情を認識し、把握していたという場合には、むしろ十分に配慮しなければならないものというべきである。〔中略〕
(2) ところで、上記〈1〉ないし〈3〉の各要素を総合考慮して当該精神障害の業務起因性について判断するといっても、上記3つの要素がどのように絡み合うかによって幾つかの場合分けが可能である。
 まず、〈1〉による心理的負荷が、社会通念上、客観的に見て、それのみで精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合には、業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして、当該精神障害の業務起因性を肯定することができる。
 これに対し、〈1〉による心理的負荷が、それのみでは精神障害を発症させるまでに過重であるとは認められない場合においても、〈2〉による心理的負荷又は〈3〉の個体側要因のいずれかと相俟って、又は、その両者と合わさることにより精神障害が発症したという場合も考えられる。このように、いわば複合的な要因が絡み合って精神障害が発症したという場合の業務起因性の有無はより慎重な検討が求められることになる。
 他方、〈1〉及び〈2〉による心理的負荷が、単独では、いずれも一般的には精神的な変調を来すことなく適応することができる程度のものであるのみならず、両者が合わさっても同様のことがいえるにもかかわらず、精神障害が発症したという場合には、その要因は〈3〉によるものとみるほかはなく、もとより業務起因性は否定される。
3 業務起因性の有無について〔中略〕
 そうすると、本件精神障害の発症は、粕屋農協での業務、就中、本件配置転換後の勢門支所における業務と関連性があるものといわざるを得ず、少なくとも、当該業務による心理的負荷(以下「〈1〉の要因」という。)と本件精神障害の発症との間に条件関係があることは確実である。
(2) しかしながら、勢門支所を初めとする粕屋農協の職員、特に太郎と同じく主として集金・推進業務に従事する営業職の職員に、太郎と同様の精神障害を発症した者が同人のほかにもいるかといえば、そのような事実は認められない。そうであれば、太郎が本件精神障害を発症したことについては、同人の個体側の反応性ないし脆弱性(以下「〈3〉の要因」という。)が関係しているものと見ざるを得ない。〔中略〕
(3) 以上によれば、太郎の本件精神障害は、本件配置転換後の業務による心理的負荷(〈1〉の要因)と〈3〉の要因とが相俟って発症したものと解するのが相当である。〔中略〕
 ア 本件配置転換による心理的負荷について〔中略〕
 むしろ、上記のような性格、性向であるが故に、長年それに見合った職務に従事してきた45歳という年齢の太郎に対し、全くの畑違いの業務に従事させる本件配置転換は、平均的な労働者の観点からしても、過度に大きな心理的負荷を与えるものであったといわなければならず、そうとすると、本件配置転換が上記のような経緯で行われたことを考慮に入れてもなおそれが合理的であったというには相当の疑問を払拭することができない。
 イ 勢門支所における太郎の業務内容及び目標額の設定等による心理的負荷について〔中略〕
太郎は、実際に金融関係の業務に携わった経験がなく、その意味では新人と大差はない上、既に年齢も45歳に達し、長年にわたり給油所ばかりに勤務していたため、変化に順応しづらくなっていることも想定される中で、長期共済について、新人並ではなく、経験者と同様の3億3500万円の目標設定を受けたことは、太郎の推進業務の遂行を一層厳しいものとしたと考えられるのであり、これらの状況を平均的な労働者の観点から見たとしても、その心理的負荷は相当に大きなものであったというべきである。
  (ウ) そして、太郎は、終礼後も推進業務に回ったりしながらも、平成11年5月末の時点においてみても、自分一人で獲得できた共済の実績は皆無という状況にあり(したがって、達成率を単純に比較するのは相当でない。)、本所や勢門支所で行われる会議で自分が最下位にいることを目の当たりにし、そのことが同支所全体の連帯責任になりかねないことを懸念せざるを得ず、他方で、同じ粕屋農協所属の職員が自分とはかけ離れた成績を挙げていること知らされたりする中で、その心理的負荷がさらに助長されていったことは容易に推認できるところである。〔中略〕
 エ 以上からすれば、太郎は、上記アないしウのような心理的負荷が複合的に加わる中にあって、同年5月7日には体調を崩し、帰宅後も口数が少なくなり、食欲も減退して、食事をするとすぐベッドに入るが熟睡できない、ため息をつく、ぼんやりして宙を見つめる、家の中でも仕事の資料やアタッシュケースを持ち歩く、自暴自棄ともとれる言葉を口走るなどといった状況が見られるに至り、同月中旬ころに本件精神障害を発症したものと認めるのが相当であり、これはまさに当該業務に内在する危険の現実化と認めるべきものである。
 オ 控訴人は、主張するが、既に見たところに尽きており、いずれも採用することはできない。
 なお、太郎が本件配置転換から僅か1か月半ほどで本件精神障害を発症した点について、控訴人は、太郎の性格傾向やストレスの発散、処理が上手くできなかったという面を指摘しており、現にそのような側面も窺われるところではあるが、本件配置転換やその後の業務、目標額の設定等が相当に大きい心理的負荷を与えるものであったことは既に述べたとおりであり、本件精神障害の発症を専ら同人の性格等に拠るものと断ずるのは相当でなく、上記主張をそのまま採用することはできない(控訴人が援用する医学的見解についても、同様である。)。
(3) 以上のとおりであるから、本件精神障害は、太郎の業務に起因して発症したものということができる。その後、太郎は、長時間に及ぶ推進業務を行い、豪雨の中、父親が制止するのも聞かず、外回りに出かけるなどといった努力までしたにもかかわらず、概して実績が上がらないまま推移しているのであり、本件精神障害の影響の下にあって、次第に追い詰められていったものといわなければならない。そして、そのような中、月子にまで高額の生命共済をかけ、その掛金の支払のために被控訴人が働きに出るまでして、自らの実績を上げなければならないという自分自身の不甲斐なさや理不尽さに悩み、苦しみ、ついに縊死するに至ったものである。
4 以上によれば、これと異なり、本件精神障害、ひいては本件自殺について業務起因性がないものとした本件処分は違法であり、これを取り消すべきである。これと結論において同旨の原判決は正当であり、本件控訴は理由がない。