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ID番号 : 90001
事件名 : 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 : X社事件
争点 : 入社前面接の際の人事担当課長の発言が、黙示の内定取消しあるいは内定辞退の強要に当たるか、また、内定辞退が債務不履行に当たるかが争われた事案
事案概要 : (1) Y社から採用内定を受けた平成23年3月に大卒予定のXは、入社前研修の際に、人事担当課長から黙示の内定取消しを受けあるいは内定辞退を強要され、内定辞退を余儀なくされたとして損害賠償を求めたところ、Y社も、Xの内定辞退は著しく信義に反し不法行為又は債務不履行であり、また本訴請求は不当訴訟に当たるものとして損害賠償を求めたもの。
(2) 東京地裁は、人事担当課長は内定を取り消す権限を持っていなかった上、再研修を予定していることを告げたり、大学就職課の問い掛けに内定の事態を勧めていないと明確に答え、本人からのもう少し時間が欲しいという要望を容れていることなどからすると黙示の内定取消しを行ったとはいえず、内定辞退を強要されたとは言えないとした。また、本件同研修における課長の発言中には、指導的発言としては些か行き過ぎの感がないではない発言が散見されるものの、社会通念に照らし客観的にみる限り、Xの自由な意思形成を著しく阻害するような性質のものであったとはいい難く、内定辞退を強要したものとは評価できない。さらにY社には、 Xが研修終了後直ちに両親を伝え、翌週には大学就職課を相談に訪れ、翌月にはX代理人の事務所を訪れて相談してY社との交渉方を依頼した上、就職留年を申請していることからすると、課長の発言が叱咤激励の範囲にとどまる穏当なものであったとは考え難いことなどからすると、内定辞退の申入れは、信義則上の義務に著しく違反する態様で行われたとまではいい難く、Xは債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償責任を負うものではない。
参照法条 : 民法415条
民法709条
民事訴訟法135条
体系項目 : 労働契約(民事)/採用内定/法的性質
労働契約(民事)/労働契約上の権利義務/業務命令・信義則上の義務、忠実義務
裁判年月日 : 2012年12月28日
裁判所名 : 東京地
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成23年(ワ)25217号/平成23年(ワ)41058号
裁判結果 : 棄却
出典 : 労働経済判例速報2175号3頁
審級関係 :
評釈論文 :
判決理由 : 〔労働契約(民事)‐採用内定‐法的性質〕
〔労働契約(民事)-労働契約上の権利義務-業務命令〕
〔労働契約(民事)-労働契約上の権利義務-信義則上の義務・忠実義務〕
 (1)本件黙示の内定取消(不法行為)に基づく損害賠償請求  Y社が、Xに対し、明示の意思表示をもって本件内定を取り消した事実は認められない。問題は、実質的に本件黙示の内定取消があったものと評価し得る事実が認められるか否かである。平成23年2月17日に行われた本件第3回プレゼン研修(以下、同研修)において、人事担当課長は、Xが行ったプレゼンテーションの実演を厳しく批判した上、事実上、本件内定辞退を促すかのような発言を行い、これによりXは、このままではこの場で内定辞退に追い込まれるのではないかとの危惧の念を抱いたことは否定し難い。
 しかし、その一方で人事担当の課長とはいえ、法的にはもとより事実上も本件内定を取り消したり、あるいは、これに類する行為を行う権限までは有していなかったことに加え、直ちに、Xからの「もう一度考えたい。」「両親に相談するので2、3日時間が欲しい。」との懇請を受け入れた上、意欲があるのであれば、改めてプレゼン研修を行い、被告会社の社長プレゼンを実施する予定である旨を告げ、週明けの同月21日までに考えた結果を連絡するよう指示していること、そして課長は、大学就職課から、本件同研修の際にXに対し「辞めろと言ったわけではないが、このままの状況であれば内定を辞退した方がいいかもしれない。よく考えて2月21日に電話をしてくるように」と指示したか否かを尋ねられ、これを「本人に頑張って貰うため会社として意見した」ものであるとして明確に否定するとともに、同年3月2日、3日にも、Xに対し、携帯電話をかけ連絡を促しているほか、同月4日には、携帯電話をかけてきたXから再び「今後のことを両親と相談しているのでもう少し時間が欲しい」と懇請され、これも直ちに受け入れていることが認められるのであって、これらの事実を併せ考慮すると、本件同研修において、Xに対し、その出処進退につき二者択一の判断を迫る状況が生じていたとまでは認められない。そうだとすると課長が本件同研修においてXに対し本件黙示の内定取消を行ったものとはいい難く、他に本件黙示の内定取消を基礎付ける事実関係を認めるに足る的確な証拠はない。以上によれば本件黙示の内定取消(不法行為)に基づくXの損害賠償請求は、その余の点を検討するまでもなく理由がない。
 (2)本件内定辞退の強要(不法行為)に基づく損害賠償請求
 本件各プレゼン研修を取り仕切る立場にあった課長は、Y社の社員採用業務について、10年以上もの経験を有する人事担当課長であって、参加内定者の研修内容等が不出来であるからといって、Y社の意向でもないのに、軽々に、同人に対し、内定辞退を促したり、あるいはこれを強要するなどといった一線を越える言動に及ぶものとは考え難い。
 加えて、本件同研修における課長の発言中には、参加の義務のない内定者に対する指導的発言としては些か行き過ぎの感がないではない発言が散見されるものの、その多くは、慎重にも一言「辞めろと言っているわけではないが」との断りを挟んだ上、上記のような発言に及んでいるばかりか、「もう一度考えたい。」「両親に相談するので2、3日時間が欲しい。」とのXからの懇請に対しても難色を示すことなく、これを直ちに受け入れ、数日の考慮期間を与えるとともに、Xに対し、やる気があるのであれば今後も指導を続け、新たにプレゼン研修を行い、代表取締役の面前でのプレゼン研修も設定する予定であることを告げた後、本件同研修を終了させており、その間に要した時間は30分間程度であることのほか、本件同研修後、大学就職課からの問い合わせに対しても、同研修における自らの発言は「本人に頑張って貰うため会社として意見した」ものであることを明言していることなどを併せ考慮すると、本件同研修における課長の上記一連の発言は、余りやる気の感じられない入社目前のXに対し危機感を募らせ、予め入社後予定されている営業活動の厳しさにつき体感させることを目的として行われた指導的な発言にとどまるものと認めるのが相当である。  
 以上によれば、課長の上記一連の発言は、社会通念に照らし客観的にみる限り、本件内定を辞退するか否かに関するXの自由な意思形成を著しく阻害するような性質のものであったとはいい難く、本件内定辞退の強要に当たるものと評価することはできない。
 またY社は、本件3・15書面において、「通知人(Y社)は、Xさんが、新規採用内定の8名の方々と共に、4月1日から通知人(Y社)の社員として勤務していただく前提で、準備しておりますことを、まず、お伝えしたいと考えています。」と基本的な立場を明らかにした上、本件3・29FAXにおいても、再度、Xに対し、入社日が接近していることを告げ入社手続をとるよう促していることなどに照らすと、本件5・17書面等における上記「本件内容は、始期付きのものではなく、研修の終了が必要な停止条件付きの内定契約である」との記載を額面どおり受け取り、Y社が本件各プレゼン研修を採用手続の一環と捉え、その中で更なる内定者の選抜を行おうとしていたことの有力な証左であるとみることはできない。以上によれば本件内定辞退の強要(不法行為)に基づく原告の損害賠償請求は、その余の点を検討するまでもなく理由がない。 原告の本訴請求は、いずれも理由がなく棄却を免れない。
 (3)本件内定辞退(債務不履行又は不法行為)に基づく損害賠償請求
 Xは、本件同研修終了後、直ちにその状況を両親を伝え、翌週の平成23年2月21日には大学就職課を相談に訪れ、本件内定辞退の強要を受けたと申し出るとともに、同年3月2日にはX代理人の事務所を訪れ、本件黙示の内定取消等をめぐる法律問題等について相談し、Y社との交渉方を依頼した上、同月7日には本件就職留年手続の申請を行っていることが認められるところ、仮に本件同研修における課長の発言が、Y社の主張するような叱咤激励の範囲にとどまる穏当なものであったとすると、Xが本件内定辞退の強要を受けたとして上記のような行動を起こすものとは考え難い。
 またXは、100倍近い競争率を勝ち抜き、Y社の内定を取りつけ、本件新規内定者の一人として、それなりの準備を行い本件各プレゼン研修に臨んでいたものである。そうだとすると単にY社が主張するように研修の結果が不出来で叱咤激励に属する発言を受けた程度のことで、上記のような行動を起こし、本件就職留年手続の申請まで行ったというのは、やはり説明としては些か合理性ないしは整合性に欠けるものといわざるを得ない。
 以上のことから本件内定辞退の申入れは、信義則上の義務に著しく違反する態様で行われたものであるとまではいい難く、Xは債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償責任を負うものではない。