全 情 報

ID番号 03237
事件名 地位保全等仮処分申請事件
いわゆる事件名 長野学園事件
争点
事案概要  大学の経済学部を廃止し産業社会学部を新設する案により、新設学部にカリキュラム担当講座がないことを理由になされた大学教授に対する解雇が無効とされた事例。
参照法条 労働基準法2章
労働基準法89条1項3号
体系項目 解雇(民事) / 解雇事由 / 企業解散・事業の一部廃止・会社制度の変更
裁判年月日 1980年1月21日
裁判所名 長野地上田支
裁判形式 決定
事件番号 昭和54年 (ヨ) 46 
裁判結果 認容
出典 労働判例335号43頁
審級関係
評釈論文
判決理由 〔解雇-解雇事由-企業解散・事業の一部廃止〕
 当事者双方の提出した疎明資料によれば、被申請人は、昭和四一年設立され、経済学部単科の大学及び女子短期大学を設置していたが、設立当初から過大な負債を抱えていたうえ、学生数が定員に充たず、昭和四七年には定員の三分の一程度であり負債総額が七億円を超え(自己資本に対する借入資本の割合は約七〇〇パーセント、総資産に対する総負債の割合は約一〇〇%)、廃校が問題とされる状況となったこと、そこで被申請人は女子短期大学部門を他に譲渡し、所有資産を売却処分し、再建委員会を組織して、昭和四八年六月二五日、経済学部を学年進行により廃止し、昭和四九年四月より産業社会学部を設置するとの改革案を決定したこと、産業社会学部の設置は昭和四九年一月一〇日文部省より認可されたが、その際、経済学部を学年進行により廃止することが義務づけられたこと、これにより産業社会学部は同年四月より設置され、他方、経済学部は既に昭和四八年四月から学生募集を停止していたので、昭和五一年三月にはほとんどの学生が卒業し、若干の留年生も昭和五二年二月までに退学したため経済学部の学生は皆無となったこと、産業社会学部は、物的設備については経済学部の設備を継受し、教員については、経済学部の教員であって産業社会学部への配置転換を求め、あるいは承諾したものは、申請人両名を含む若干名を除き、全員が同学部勤務とされたこと、このようにして被申請人の設置する大学は経済学部単科の大学から産業社会学部単科の大学となったこと、なお、このように大学組織が改変されるに当って、昭和四八年六月二〇日の教授会は最終的には教員全員が産業社会学部に移ることを確認し、また、被申請人とその教職員組合との間の不当労働行為救済申立事件における同年七月一〇日成立の和解協定では「被申請人は、大学再建にともない、いかなる学部、学科の改組が行なわれる場合でも、専任教職員たる組合員の身分を保障する」と定めたこと(但しこの和解協定は昭和五一年七月九日解約された)、そして、産業社会部のカリキュラム中には、申請人X1の担当可能な現代政治論、申請人X2の担当可能な経済政策の各講座が含まれており、これらの各講座は理事会が産業社会学部設置を決めた改革案作成当初においては申請人両名に担当させることを予定していたものであることの各事実を一応認めることができる。以上の事実によれば、産業社会学部に申請人両名の担当可能な講座が存在する以上、経済学部の申請人両名の担当講座が存在しなくなったとしても、被申請人就業規則第一九条第一号にいう講座等の廃止には該らないといわなければならない。