ID番号 | : | 04176 |
事件名 | : | 仮差押執行取消請求事件 |
いわゆる事件名 | : | 川岸工業事件 |
争点 | : | |
事案概要 | : | 子会社の従業員が会社解散の後、その退職金債権等の保全のため親会社の財産に対する仮差押執行につき取消の申立がなされた事例。 |
参照法条 | : | 民事訴訟法(平成8年改正前)549条 労働基準法11条 |
体系項目 | : | 労基法の基本原則(民事) / 使用者 / 法人格否認の法理と親子会社 |
裁判年月日 | : | 1970年3月26日 |
裁判所名 | : | 仙台地 |
裁判形式 | : | 決定 |
事件番号 | : | 昭和42年 (モ) 666 |
裁判結果 | : | 却下 |
出典 | : | 労働民例集21巻2号367頁/時報588号52頁/タイムズ247号139頁/金融法務578号26頁 |
審級関係 | : | |
評釈論文 | : | 橋詰洋三・昭45重判解説176頁/秋田成就・ジュリスト483号153頁/龍田節・判例評論140号32頁 |
判決理由 | : | 〔労基法の基本原則-使用者-法人格否認の法理と親子会社〕 (一) 株式会社の株主有限責任は法律によつて認められたものであるが(商法二〇〇条)これは事業資本の調達に資する経済的効用を有すると共に個人を株主とする株式会社においては、その株主に有限責任の特権を認めることによつて集約形成した株式会社そのものの存在自体がその企業活動の面において社会的効用を果しているということができる。したがつて個人を株主とする株式会社の株主有限責任を否定することは右株式会社の社会的効用を否定することになるということができる。しかしながら、法人を株主とする株式会社の株主有限責任を否定してもその株主たる法人と株式会社とが経済的社会的に一個の独立した単位を構成する場合は同法人を構成する個人の株主有限責任を否定しない限りこれは右株式会社の社会的効用に反するということはできない。むしろ株主たる法人の構成員は既に自己自体の企業活動において有限責任の特権を享受しながら更にその所属する法人が他の株式会社の株主になることによつて実質的には二次的有限責任の特権即ち二重に亘る特権を有することになる。有限責任の原則は右のとおりその有する社会的効用の要請から、その法人に対する債権者の利益を犠牲にしても認めたものであるが、債権者の利益を犠牲にしても株主に有限責任の原則の享受し過ぎ(二重の有限責任)を積極的に是認するものではない。なぜならば、右の如く有限責任の原則の享受し過ぎを是認するときは法自体が有するところの自己目的たる衡平を法自から否定することになるからである。したがつて法人格否定の法理は株式所有による親子会社においては個人株主によつて構成される株式会社よりは、会社自体の形骸性を問題としなくても容易に適用さるべきものということができる。 (二) さてしからば法人格否定の法理にしたがい子会社の債権者に対する責任を親会社においてその独立性を否定されて負担する責任条件とは如何なる場合であるかを考察するに、まず第一に親会社と子会社とは前記のとおり経済的に単一の企業体たる実体を有すること、第二にその企業活動の面において親会社の子会社に対する管理支配が現実的統一的でその活動そのものに経済的社会的単一性を有することを必要とすると解すべきである。なぜならば、経済的単一性をもつて法律的にも直ちに単一体であるということができず、むしろ親会社の現実的な統一的管理支配が欠けるときはそれは法人格が形式的に別個独立である限りその社会的経済的活動の単位面からみればかえつて企業活動そのものの分離独立を示すことにほかならず、また法人の社員から独立したその法主体性はその企業の独立した経済的社会的に単一な企業活動の社会的有用性によつて法がこれを付与したものだからである。 (三) そこで更に右企業の経済的単一性の内容を明らかにするに、これは親子両会社が財産的物権的に同一体となつていることであるが、結論的には、親会社が子会社の業務財産を一般的に支配し得るに足る子会社の株式を所有することにあるというべきである。けだし、例えば一人会社即ち親会社が子会社の全株式を所有するときは親会社の株主からみれば究極においてはこの両者の財産的物権的関係は株主の財産処分権の面からみて全く同一体の関係にあるということができるが、企業活動の面からみて株主たる親会社が株主総会において子会社の取締役を選任しその取締役の業務執行を通じて子会社の財産を一般的物権的に管理支配するのでなければ親子両会社の財産は物権的にも管理支配の面からしても全く同一体の関係にあるということができないからである。 (四) したがつて子会社に対する親会社の法人格の独立性が一定の債権者に対する関係で限界を画され又は否定されるためには第一に親会社が子会社の業務を一般的に支配し得るに足る株式(子会社の)を所有していることであり(一人会社はこの典型ということができる)第二に親会社が子会社を企業活動の面において現実的統一的に管理支配していることを必要とする(親会社と子会社の相互の業務が混同していること、子会社の従業員の人事労務対策などがすべて親会社の意思によつて決定されていること、などがその例である。)と解すべきであるが、右子会社に対する直接債権者には任意に積極的に子会社を選択してこれに対し信用拡大を図つた能動的債権者(例えば商取引における債権者)と消極的な因果の関係で債権者となった受動的債権者とがあるので法人格否定の法理を適用するためには右債権者を区別して考察することを必要とすべきである。なぜならば、右能動的債権者に対する関係において法人格否定の理論を適用し、子会社の責任を親会社に追求しうるものとすれば、それは自己責任の原則に悖ることになると共に右債権者を過度に保護することになつて衡平を目的とする法の理念に反することになるからである。 だとするならば、子会社に対する親会社の法人格の独立性が一定の債権者に対する関係で限界を画され又は否定され親会社がその一体性を有するがために子会社の責任を自からの責任として負担すべきものとされるためには第一に親会社が子会社の業務を一般的に支配し得るに足る株式を所有すると共に親会社が子会社を企業活動の面において現実的統一的に管理支配していること、第二に株主たる親会社において右責任を負担しなければならないとするところ対債権者は親会社自から会社制度の乱用を目的として子会社を設立するなど(例えば子会社を利用して法を潜脱する場合、子会社の利用による契約の回避・過少資本の子会社を設立して第三者を詐害するなどのほか、親会社が子会社の従業員に対して不当労働行為をなすなど。)の事情がない限り右子会社に対する関係で受動的立場に立つ債権者に限ると解すべきである。支配あるところに責任ありとする法原則は右のことを意味するものであり、右要件は自動車損害賠償保障法三条の法意および民法七一五条の使用者責任において判例学説がいわゆる外形理論を確立した趣旨と対照してみるとき容易に肯定できるであろう。 |