全 情 報

ID番号 04676
事件名 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 昭光化学工業事件
争点
事案概要  過酸化ベンゾールの引火による火災で業務中に死亡した労働者の両親が会社を相手どって損害賠償を請求した事例。
参照法条 労働基準法79条
労働基準法84条2項
民法710条
体系項目 労災補償・労災保険 / 損害賠償等との関係 / 労災保険と損害賠償
労災補償・労災保険 / 損害賠償等との関係 / 慰謝料
裁判年月日 1957年12月23日
裁判所名 東京地
裁判形式 判決
事件番号 昭和31年 (ワ) 9778 
裁判結果 一部棄却
出典 下級民集8巻12号2395頁/時報136号10頁/ジユリスト148号86頁/不法行為下級民集1238頁
審級関係
評釈論文
判決理由 〔労災補償・労災保険-損害賠償等との関係-慰謝料〕
 当裁判所も、事故発生当時を基準にして考える限り、原告等の主張する慰藉料の額が過大に失するものとは思わない。不法行為による損害賠償の額は行為当時を基準として金銭をもつて算定するのが原則であるから、この原則によれば、慰藉料請求権も亦行為当時を基準として算定され、その算定されたところに従つて一定額の金銭債権として定立し、爾後は弁済や免除等の債務消滅原因によつてのみ消滅すると解する外はないようにみえるが、当裁判所は、こうした考え方は慰藉料の特殊性を無視した不合理なものであると考える。不法行為によつて生命を失つた被害者の遺族に対して加害者が誠意を披瀝して有形無形の慰藉方法を講じた場合には、社会的な標準からすれば、それによつて遺族の精神的苦痛は軽減されたものと認めるのが相当である。ところで、例えば、加害者が弔慰金や見舞金を贈つて弔意を表した場合に、これを慰藉料債務の内入弁済とみることは事態にそわないだろうし、遺族の窮状を軽減するため住宅や就職先を斡旋したような場合にも、その尽力を金銭に換価してその限度で慰藉料債務の一部弁済があつたとすることもできないだろう。だからといつて、こうした措置がとられた場合にも加害当時の慰藉料請求権が少しも減縮せずにそのまま存続するものと解することは非常識のそしりを免かれまい。こうした点を考えると、慰藉料請求権は当該の不法行為によつて通常生じ又は生ずるべき精神的苦痛を標準として、口頭弁論終結の時までに生じた各般の事情を斟酌して弁論終結の時を基準として社会的標準によつてその額を定めるのが相当であることがわかる。従来の裁判例もとりたててはこの点を明示してはいないが、右のような考方を当然の前提としているものと思われる。このように考えるので、当裁判所は意識的に事故発生当時における原告等の慰藉料請求権の数額を確定せず、前記認定の各般の事情からみて原告等の慰藉料請求権は被告のとつた措置によつてすでに消滅しているものと判断したのである。
〔労災補償・労災保険-損害賠償等との関係-労災保険と損害賠償〕
 労働基準法八四条二項は、「使用者は、この法律による補償を行つた場合においては、同一の事由については、その価額の限度において民法による損害賠償の責を免れる。」と規定している。この免責の規定が、労働者災害補償保険法の規定により保険給付がなされ、これによつて使用者が災害補償の責を免かれた場合にも適用さるべきものであることは保険制度の目的からいつて当然のことだろう。右の免責規定は一見きわめて明瞭のようにみえるが、労働者が死亡して遺族補償や葬祭料が支払われた場合には災害補償の受給権者と民法上の損害賠償請求権の相続人が必ずしも一致しない場合が多いため、解釈上さまざまの問題が生ずる。例えば、死亡した労働者の遺族が妻と両親で、損害賠償額が百万円、災害補償額が六十万円で、この補償金が受給権者である妻に支給され、妻は損害の賠償を請求せず、両親だけが請求訴訟を起したとする。使用者は両親に対して免責されるのかされないのか。免責されるとして、六十万円の限度で免責されるのか、それとも内五十万円は損害賠償請求権に対する妻の相続分五十万円に対する関係で免責され、残り十万円の限度で両親に対して免責されるのか。十万円の限度で免責されるとした場合も、父だけが請求して母が請求しない場合には父に対して十万円全額の免責をうけるのか、それとも右の十万円も相続分に応じて二分され、五万円の限度でのみ免責されることになるのか、もし前者だとすれば、請求の前後によつて父母の権利に差等が生ずることになるだろうし、後者だとすれば、母がついに請求しなかつた場合には使用者は過当に免責される結果に終らないか。具体的に考えてゆくと、その他いろいろの問題が生ずる。ことに、受給権者が内縁の妻のように全く相続権がない場合には問題は一段と深刻な形をとることになる。こうした各種の問題を考えて統一的な解釈を打ちたてようとすれば、使用者が災害補償をした場合には損害賠償請求権は当然その価額の限度において消滅し、残余の請求権が相続分に応じて各相続人に移転すると解釈するか、または使用者は災害補償金の受給権者に対してのみ補償額を限度として損害賠償の義務を免かれ、受給者以外の相続人に対しては全然免責の効果を主張できないと解釈するか、二者いづれかそのひとつを択ばざるをえないように思われる。法規の文理からすれば、前者がおそらく正確な解釈であるように思われるが、これは実質的にみると、災害補債を損害賠償の前払ないしは内払として扱うものであつて災害補償制度と損害賠償制度を混同する嫌が多分にあつて、その当否はきわめて疑わしいように思われる。災害補償は損害賠償責任の有無とは何等かかわりのない使用者の法定義務である。従つて、使用者に不法行為上の賠償責任がある場合に使用者が法定の災害補償を行つたからといつて、補償をうけた受給権者に対しては格別、全然補償をうけない他の損害賠償請求権者に対してまで他人に対する補償を理由に免責の効果を与えることは明らかに行き過ぎであつて、現に補償をうけた損害賠償請求権者に対してのみ損害の二重填補を避ける意味で補償の価格を限度として免責させれば足ると解するのが相当であると思う。こうした解釈をとると、内縁の妻のように相続権のない者が受給権者である場合には、使用者は、全然免責をうけ得ないことになり、条文の字句にも反し、実質的にも使用者に苛酷な結果になるが、労働基準法の冒頭に明らかにされているように、災害補償が「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすため」に設けられた使用者の法定義務であることを考え、かつまた、労働者災害補償保険法による保険制度が設けられていることに想を致せば、使用者に苛酷になるからという理由だけで右の解釈を排斥することはおだやかでないし、条文の字句も法の精神に従つて特殊の場合には特殊に解釈すべきものであるから、この点の非難も亦あたらないだろう。要するに、当裁判所は、受給権者からする損害賠償の請求に対してのみ使用者は災害補償による免責を主張できるにすぎない、と解釈するのである。本件の場合に、受給権者として災害補償をうけた者は前記のように妻つる子であつて、原告等ではないから、右の補償による免責を云々する被告の抗弁は採用できない。