全 情 報

ID番号 05048
事件名 療養補償給付不支給処分取消請求事件
いわゆる事件名 毎日新聞社・中央労基署長事件
争点
事案概要  新聞社で植字工として固形鉛を扱う植字の業務に携わってきた労働者が倦怠感、根気喪失などの症状につき鉛による職業病によるものであるとして療養補償を請求した事例。
参照法条 労働基準法75条
労働者災害補償保険法12条(旧)
体系項目 労災補償・労災保険 / 業務上・外認定 / 職業性の疾病
裁判年月日 1980年11月19日
裁判所名 東京地
裁判形式 判決
事件番号 昭和51年 (行ウ) 180 
裁判結果 認容
出典 労経速報1068号14頁/労働判例353号15頁/訟務月報27巻4号735頁
審級関係
評釈論文 井上浩・労働判例353号13頁/佐藤進・ジュリスト766号125頁
判決理由 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-職業性の疾病〕
 2 労働者災害補償保険法(昭和四八年法律第八五号による改正前のもの)第一二条は、労働基準法七五条所定の災害補償事由が生じた場合に補償を受けるべき労働者に対しその請求に基づいて療養補償給付を行うものとし、労働基準法七五条は「労働者が業務上……疾病にかかった場合」を災害補償事由と定めている。右規定にいう「業務上」とは業務に起因することすなわち業務と疾病との間に相当因果関係があることを意味するものと解されるが、労働基準法施行規則三五条(昭和五三年労働省令第一一号による改正前のもの)は、前記労働基準法の規定の委任を受けて一定の職業性疾病を列挙しており、当該疾病を発生させるに足りる有害な業務に従事する労働者が当該疾病にかかった場合には、特段の反証がない限り、業務に起因する疾病として取り扱うこととしている。そして、同条一四号には、「鉛……による中毒及びその続発症」があげられている。
 本件において、原告が昭和二一年四月一日会社に入社し見習期間を経たのち活版部に配属されそれ以後植字工として固型鉛を取り扱う大組及び植字の業務に一貫して携わってきており鉛曝露による有害作用を受けうる環境の下で業務に従事してきたことは当事者間に争がないから、原告のA病院受診当時の疾病が鉛中毒症に該当するのであれば、原告の右疾病は、業務上の事由によるものと推定されることとなる。したがって、本件の主要な争点は、原告の右疾病が鉛中毒症に該当するかどうかにあることとなる。
 3 ところで、労働者が職業性疾病にかかっているかどうかの判断は、医学的な判断を必要とし、必ずしも容易ではない場合が少なくない。
 (証拠略)によれば、一般に、慢性鉛中毒症は、呼吸器又は消化器を通じて長期間にわたり鉛が体内に吸収蓄積され、徐々に発病し(ただし、鉛の摂取量が多い場合には比較的短期間で発病することがある。)、多様な症状を呈するに至るものであるが、その症状の多くは鉛中毒特有のものではなく、他の疾病によっても起こりうるものであって、その症状のみによって鉛中毒の診断をすることは極めて困難であることが認められる。
 (証拠略)によれば、本件新旧認定基準は、右のような鉛中毒症の判断の困難性にかんがみ、行政上、鉛中毒症の認定につき、迅速、適正、確実な判断を行い認定の斉一性を確保することができるよう、労働省労働基準局長の諮問機関として設置された鉛中毒に関する専門家会議の医学的な専門的意見に基づいてその具体的な判断基準として作成されたものであり、労働基準監督署長による鉛中毒に関する業務上外の認定は、右認定基準に則って行われてきていることが認められる。
 右のような新旧認定基準の性質から考えると、新旧認定基準に定める要件をみたさない場合に鉛中毒症と認めることができるかどうかは別として(前掲〈証拠略〉によれば、要件をみたさない場合でも個々の症状を検討したうえで業務上の認定をすることができる場合があることは認められる。)、少なくとも新旧認定基準に定める要件をみたす場合にはこれを鉛中毒症と判断しても誤りでないという合理性をもつ基準であることについては、異論のないところと考えられる。
 他方、新旧認定基準は、その性質内容に照らし鉛中毒症か他の疾病かについて疑いがある場合における両者の識別の基準としての機能をはたすべきものであり、鉛中毒症の発病時期までを確定する基準としての機能をもつものでないことは明らかである(このことについては被告も認めるところである。)。
 そうすると、鉛中毒症を疑わせる症状ではあるが他の疾病によっても起こりうるような症状を呈している労働者が、労働基準監督署長により新旧いずれかの認定基準に照らし鉛中毒症に該当するとして業務上の事由による疾病であるとの認定を受けた場合に、その鉛中毒症と判断された時期以前の時期(ただしあまりさかのぼらない時期)においても、鉛中毒症と判断された時期におけるのと同様の鉛中毒症を疑わせる病状を呈していることが客観的に認められるときには、その症状が他の疾病に起因することが明らかである特段の事情がない限り、その症状も鉛中毒に起因するものと推定するのが相当というべきである。
 〔中略〕
 (3) 前項でみたように、A病院受診当時の原告の症状は、鉛中毒症によって起こりうる症状であり、労災認定を受けたB病院受診時の症状と明らかに共通するものが多数存在することのほか、(ア)前記のように慢性鉛中毒症は一般に長期間にわたる鉛の体内への吸収蓄積により徐々に発病するものであること、(イ)原告は、A病院受診後の昭和四五年一〇月二九日から同四六年三月二一日までは全く業務に従事しておらず、同月二二日から同年七月一〇日までは一日五時間の勤務をしただけである(原告本人尋問の結果によると通常は一日一〇時間の勤務であったと認められる。)ことは当事者間に争がなく、したがってその間の鉛の曝露量は少なかったものと考えられるから(その間に通常勤務の場合以上に大量の鉛の曝露を受けたことを認める証拠はない。)、労災認定を受けたB病院受診時の原告の慢性鉛中毒症は、原告がA病院受診前の長期にわたる鉛の有害作用を受けうる環境において作業に従事していたことにその原因を求めるのが相当と考えられること(換言すれば、A病院受診後のあらたな原因により生じたものとは考えにくいこと)、(ウ)(証拠略)によれば、原告がA病院を退院した当時原告の症状は完治していたものではなく、その後も引き続き同病院に通院し治療を受けていたが、同病院での治療によっても症状が一向に好転しないため七月一日よりB病院で受診するようになったことが認められるのであって、受診した病院は異なり、また後記のようにその治療の観点も異なるものではあるが、原告の一貫した愁訴に基づいて引き続きその治療が行われてきているとみられること(原告からみれば継続した同一の症状について引き続き治療を受けていること)、をあわせ考えると、原告のA病院受診当時の症状とB病院受診当時の症状とは、一見多様ではあるが基本的には同一であり、これを全体としてみれば継続的一体的なもの(もし同一病院で治療を受けていれば一つの疾病に基づく一連の症状として取り扱われたと考えられるもの)と認めるのが相当である。そうすると、右の症状のうちB病院受診当時のもの(部分)につき被告より鉛中毒症として労災認定を受けている以上、A病院受診当時のもの(部分)についても、特段の事情がない限り、鉛中毒によるものと推認するのが相当である。
 〔中略〕
 6 以上のとおり、原告のA病院受診当時の症状は鉛中毒によるものと推認すべきところ、原告が長期にわたり鉛の曝露を受ける有害な作業環境で仕事に従事していたことは前記のとおりであるから、原告の右疾病(鉛中毒症)は業務上の事由によるものというべきである。
 7 そうすると、原告のA病院受診当時の疾病を鉛中毒症に該当せず業務上の事由によるものでないとした被告の本件処分は違法であり、取消しを免れない。