全 情 報

ID番号 05229
事件名 労働者災害補償保険給付不支給決定処分取消請求事件
いわゆる事件名 釜石労基署長事件
争点
事案概要  鉱業所において騒音作業に従事してきた者に発症した難聴(騒音性難聴)につき、業務に起因するものであるとして障害補償の請求がなされたのに対して、消滅時効の成立が争われた事例。
参照法条 労働者災害補償保険法42条
体系項目 労災補償・労災保険 / 補償内容・保険給付 / 時効、施行前の疾病等
裁判年月日 1990年1月18日
裁判所名 盛岡地
裁判形式 判決
事件番号 昭和62年 (行ウ) 3 
裁判結果 棄却(控訴)
出典 訟務月報36巻7号1297頁/労働判例558号89頁
審級関係 控訴審/仙台高/   .  ./平成2年(行コ)3号
評釈論文 田中清定・社会保障判例百選<第2版>〔別冊ジュリスト113〕134~135頁1991年10月
判決理由 〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-時効、施行前の疾病等〕
 1 当裁判所も、労災保険法四二条の障害補償給付請求権の消滅時効は、当該業務に起因して発生した傷病の症状が固定し、かつ当該労働者が右障害の存在及びそれが業務に起因するものであることを知つた時からその進行を開始するものと解するのを相当と判断する。けだし、右障害補償給付請求権は公法上の権利であるとはいえ、他面実質上不法行為に基づく損害賠償請求権と類似の性質を有するものということができ、したがつて、右請求権の時効の起算点につき労災保険法上明定されていない以上、この点については民法七二四条を類推適用するのが相当であるし、そうでないとすると、障害補償給付の対象となるべき障害の中にはその障害の有無及び業務起因性が必ずしも明白ではなく、容易にそれを知り得ない場合があり、そのような場合にあつては当該障害の存在及びその業務起因性を被災者である労働者が知るまでの間において、当該労働者が補償給付請求権を行使することは現実には期待し得ず、それにもかかわらず消滅時効が進行することになり、障害補償給付請求権は行使の可能性もないまま消滅時効の完成により失われてしまうことになつて、労災保険法が目的とする被災者である労働者の救済とその生活の保障が実現しえなくなり、不都合であるというべきである。これに対して被告は、被告の解釈によつた場合に比べ、鑑別診断の困難や証拠資料の散逸の可能性が多くなる旨を指摘するが、そのような不都合は、進行性疾患の場合においてもまたみられるものであつて、制度上甘受せざるをえないものであり、この点に関する被告の主張は採用できない。
 〔中略〕
 そして、他に原告の症状が、原告が訴外会社を退職し音響刺激曝露が中止された後において進行したことを窺わせる証拠は存しない。
 (3) 以上に認定したところを総合すれば、原告の罹患した騒音性難聴は、原告が訴外会社を退職した後においては、増悪しなかつたものと認められることになるから、その退職時(昭和四六年一〇月二〇日)において、症状は固定したものということになる。
 (二) 原告がその障害の存在及びそれが業務に起因するものであることを知つた時期
 原告が訴外会社に勤務しだしてから二、三年経過した昭和三七、八年頃、妻に指摘されて自分の耳が悪くなつたのではないかという印象を持つたことは前認定のとおりであるところ、原告本人尋問の結果によれば、原告はその当時から激しい騒音の中で働いていれば耳が悪くなるということを知つていたこと、そのため原告は訴外会社に勤務を始めた当初から自ら持参した綿で耳栓をして作業に従事し、その後訴外会社から耳栓が支給されるようになるとこれを使用して作業に従事したこと、原告が訴外会社において勤務していた当時において、原告は訴外会社に勤務する者の中に難聴などの耳の障害を訴える者が複数いることを知つていたこと、原告自身右のような認識をもつに至つた当時から、騒音に曝露される機会は訴外会社以外にはなく右症状が訴外会社で働いた結果であると考えていたことを認めることができるところ、原告本人の供述中の昭和六二年にA病院で診察を受ける以前においては、特に自覚症状を持つていなかつたとの部分は、前認定の、原告が、昭和三七、八年頃、既に他の人と比べて耳が悪くなつたのではないかという印象を抱いていたことに照らし採用できないし、他に右認定に反する証拠は存しない(もつとも、原告本人の供述中には、自分が難聴であることを認識したのは昭和六二年にA病院で診察を受けたときが初めてであるとする部分があるが、右の昭和三七、八年頃、既に原告の抱いていた印象からして、右供述の趣旨とするところは、それまでは自己の症状の診断名が難聴であることを知らなかつたことに尽きるものと解される。)。
 そして、右に認定したところによれば、原告は退職時(昭和四六年一〇月二〇日)以前において、自己の耳の聴力が低下し、かつ、それが業務に起因することを知つていたものというべきである。
 これに対して、原告は、徐々に進行するという騒音性難聴の発現態様や、それゆえまた症状自覚が困難であるという特性からして、右疾病の場合は医師の診断があつて初めて、自己の保険給付請求権の存在を知るものであり、それまでの間に権利行使を期待することは無理な注文であると主張するが、難聴が、初期においては、自覚され難いものであるにしても、前認定のような症状を原告が自覚していた以上、原告が医師の診断を受けることには何ら支障は存しないものであり、したがつて、また、その権利を行使することにもなんら障碍はないものであつて、医師の診断のないこと自体は本件障害補償給付請求権の行使についてなんら障碍とならないものといわざるをえない(原告は、医師にかからなかつた理由として、普通の会話はできるし、それ程深刻には考えていなかつた旨供述するが、その程度は前認定のように必ずしも軽微なものと認めることはできない。むしろ、原告本人尋問の結果によれば、それ以前は難聴で労災保険給付が受けられることは知らなかつたが、昭和六二年に、職場の仲間に難聴であればそれが受けられることを教えられたことを契機として、医師の診断を受けたうえその請求を行つていることを認めることができるところ、このことに前認定のようにその症状は増悪していないことを考え併せると、原告が請求を行わなかつたのは、難聴により障害補償給付が支給されることを知らなかつたという法の不知に基づくものと推認されるが、そのような法の不知があつたからといつて、権利の行使に障碍があつたということはできないものである。)。
 3 以上によれば、原告の症状は、原告が退職をした昭和四六年一〇月二〇日に固定し、かつ、その頃までに原告はその症状及びそれが業務に起因するものであることを知つていたものと認められることになるから、その時から労災保険法四二条所定の五年後である昭和五一年一〇月二〇日の経過により、本件請求権は時効により消滅したものといわざるをえない。