全 情 報

ID番号 05693
事件名 損害賠償請求併合事件
いわゆる事件名 日本化工クロム労災事件
争点
事案概要  クロム酸化合物の製造作業中にクロム粉じん、ミスト等の有害物質に暴露されたことにより各種の健康障害、死亡を生じたとして被災者、その遺族が会社を相手どって損害賠償を請求した事例。
参照法条 民法709条
民法724条
労働基準法84条2項
労働者災害補償保険法23条
体系項目 労働契約(民事) / 労働契約上の権利義務 / 安全配慮(保護)義務・使用者の責任
労災補償・労災保険 / 補償内容・保険給付 / リハビリ、特別支給金等
労災補償・労災保険 / 損害賠償等との関係 / 労災保険と損害賠償
裁判年月日 1981年9月28日
裁判所名 東京地
裁判形式 判決
事件番号 昭和50年 (ワ) 10129 
裁判結果 一部認容,一部棄却
出典 時報1017号34頁/タイムズ458号118頁/労働判例372号21頁
審級関係
評釈論文
判決理由 〔労働契約-労働契約上の権利義務-安全配慮(保護)義務・使用者の責任〕
 クロム酸塩製造工場においてクロム作業に従事した労働者の肺がんの発生についてみると、各国における疫学調査の結果、すでに統計学的に有意差が確認されているうえ、動物実験及び遺伝毒性実験によっても、六価クロム化合物の多くに発がん性の存することが認められているので、発がん物質と断定してよい。してみると、六価クロムによる職業上の暴露と肺がんの発生との間に訴訟上の因果関係が存在することは明らかである。〔中略〕
 このように労働者らは、被告工場の劣悪な作業環境の下で、高濃度のクロム粉塵等に長期間暴露していたものであり、現に被害者の中には、胃がんにより死亡したものや、胃がんの切除手術を受けたものが数名いる。胃がんの罹患率は日本人に非常に多く、がんの部位別でも第一位を占めていることは公知の事実である。そして胃がんの原因は、食生活と密接な関係があるといわれているが、その他がん誘発物質の摂取などきわめて多因的であって、発がんの原因を一概に決められない。してみると、発がん物質である六価クロムの職業上の暴露が胃がん発生の誘因になっていたことは否定できない。そこで、因果関係を肯定したうえ、損害賠償責任の関係では、クロムによる発がんの寄与率は肺がんに比してかなり低いことなどを勘案すると、その四分の一以下の限度をもって相当と考える。〔中略〕
 民法七〇九条にいう過失の本質的な内容は、違法な結果の発生を防止すべき注意義務に違反することであると解されるが、結果発生を認識していないものについては、結果発生の予見可能性を検討し、これが肯定されれば予見義務違反を介して結果回避義務違反として過失が認められる。これに対し、結果発生を認識している場合は、結果回避義務の履行の有無を検討し、その不履行が肯定されれば結果回避義務違反として過失が認められる。〔中略〕
 およそ、化学企業が労働者を使用して有害な化学物質の製造及び取扱いを開始し、これを継続する場合には、まず当該化学物質の人体への影響等その有害性について、内外の文献等によって調査・研究を行い、その毒性に対応して職場環境の整備改善等、労働者の生命・健康の保持に努めるべき義務を負うことはいうまでもない。また予見すべき毒性の内容は、肺がん等の発生という重篤な健康被害の発生が指摘されている事実で十分であり、個々の具体的症状の内容や発症機序、原因物質の特定、統計的なエクセス・リスクの確認等まで要するものではない。〔中略〕
 被告は、民法七二四条後段の二〇年の期間については「除斥期間」である旨主張する。ところで、右二〇年の期間の法的性質について、近時これを除斥期間と解する有力な学説があるけれども、同条前段には「時効ニ因リテ消滅ス」と規定し、後段二〇年の期間も「亦同シ」と規定されていること、及び立法の経緯からしても、これが一般時効の規定であることは明らかであり、これを強いて除斥期間と解すべき理由はないので、前段と同様に時効期間と解するを相当とする。しかして、被告は、二〇年の時効についても訴訟上これを援用しているものと解する。
 次に時効の起算点について考える。民法七二四条前段にいわゆる「損害を知った時」とは、単に損害の発生を知った時ではなく、加害行為が違法であって、不法行為を原因として損害賠償を訴求しうるものであることを知った時をいうものと解すべきところ、右加害行為と損害との因果関係について争いがあるときは、その結論が行政庁などによって公的に示された時から時効期間が進行するものと解するを相当とする。
 なお、本件被害のように鼻中隔穿孔から呼吸器疾患、肺がん等の疾病に至る進行性かつ広範な被害については、損害を個々の損害として捉えるのではなく、各被害者の健康障害を全体的に一個の損害として捉える方がより合理的である。したがって、個々の症状ごとに時効を判断すること自体適当ではない。
 また同条後段の二〇年の時効の起算点である「不法行為ノ時」は、不法行為が終った時、本件でいえばクロム暴露が終了した退職時又は死亡時或は非クロム職場への配転時ということになるけれども、本件のように、クロムによる職業がんが暴露終了後二〇年以上の長い潜伏期間を経て結果が発生するような場合には、右損害について実質上救済されなくなる。したがって、被害者が通常予想しえなかった右のような損害については、顕在化した時、すなわち結果発生の時から時効期間の進行を始めるものと解するのが相当である(鉱業法一一五条参照)。
〔労災補償・労災保険-損害賠償等との関係-労災保険と損害賠償〕
 労災保険法又は厚生年金保険法に基づき政府が将来にわたり継続して保険金を給付することが確定していても、いまだ現実の給付がない以上、将来の給付額を受給権者の使用者に対する損害賠償債権額から控除することを要しないと解するのが相当である(最高裁昭和五二年一〇月二五日判決、民集三一巻六号八三六頁参照)。したがって、各種保険給付金は既払額についてのみ損害額から控除することとする。〔中略〕
 原告らは、厚生年金について、既払額を控除すべきであるとしても、労働者(被保険者)が右保険料の二分の一を負担しているので、控除額は既払額の二分の一とすべきである(最高裁昭和三九年九月二五日判決、民集一八巻七号一五二八頁参照)と主張する。しかし、厚生年金と生命保険はその性質を異にし、厚生年金の給付金は、労働者の負担する保険料と対価性を有しないので、控除額を二分の一に止める理由はないと解する。原告挙示の判例は本件に適切でない。
 次に被告は、右保険給付金は、受給権者のみならず、遺族原告全員から相続分に応じて控除されるべきである旨主張する。本件において、死亡被害者の損害額を算定するにあたり、当裁判所は死者の財産的損害をも含めた趣旨で、一個の損害として慰謝料額を認定した。このような損害額算定方法をとる場合においては、労災保険等の既払給付額を受給名義人に限定せず、全遺族に対する関係で民事損害賠償額と調整すべきものと考える方が実質上合理的であり、かつ公平である。そこで右既払給付金を、死亡被害者の損害額全体から控除し、遺族は残額について法定相続分に従いこれを相続取得するものと解するのが相当である。
〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-リハビリ、特別支給金等〕
 ところで原告らが受領を認める右給付金のうち、遺族特別支給金、遺族特別年金、遺族特別一時金、障害特別支給金、傷病特別年金の支給は、政府の遺族や被害者らに対する労働福祉事業(労災保険法二三条)として支給されるものであり、補償の性質を有しないから、これを損害の填補として控除すべきでないと解する(この点は後述する生存原告についても同様である)。