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ID番号 06726
事件名 損害賠償請求事件
いわゆる事件名 小名浜漁業協同組合事件
争点
事案概要  ベーリング海上における船舶衝突事故による乗務員の死亡につき、船主に安全配慮義務違反があるとして、損害賠償の支払を命じた事例。
参照法条 民法415条
民法709条
船員法14条の3
体系項目 労働契約(民事) / 労働契約上の権利義務 / 安全配慮(保護)義務・使用者の責任
裁判年月日 1995年5月24日
裁判所名 横浜地
裁判形式 判決
事件番号 平成4年 (ワ) 3160 
裁判結果 一部認容(控訴後和解)
出典 タイムズ908号177頁
審級関係
評釈論文
判決理由 〔労働契約-労働契約上の権利義務-安全配慮(保護)義務・使用者の責任〕
 2 以上の認定事実及び前記争いのない事実に基づいて判断する。
 (一) 雇用契約を締結した使用者は、被用者に対して、報酬支払の義務を負うほか、業務の遂行に当たって生じる危険から被用者の生命及び健康等を保護すべき安全配慮義務を負うものである。この義務は、雇用契約に付随する当事者間の信義則上の義務として認められるものであり、労働安全衛生法等の法令に根拠を有する場合に限定されず、その具体的内容は、その職務、地位、当該労働環境等の具体的状況によって異なるものであると解される。
 本件事故が発生した冬季のベーリング海は、雨や雪により海上の視程が著しく狭まり、強風が連吹するという自然の脅威にさらされているうえ、漁船が集中し、輻輳する操業船間の衝突の恐れが高い漁場であることは、集団で操業する方式を指導し、監督していた被告にとっては周知の事実であり、また、冬季のベーリング海の気温は氷点以下で、海水温度は摂氏二度ないし三度程度となることもまた周知の事実であって、衝突により船が沈没し、乗組員が海中に落下すると直ちに寒冷死する危険があることを被告は十分予測しえたものである。
 したがって、被告は、底引網漁業のため被用者を漁船で従事させるためには、乗組員の業務の遂行が安全になされるように、構造上の欠陥のない船舶を航行の用に供し、その整備を十全にして船舶本体から生ずる恐れのある危険を防止し、資格、経験を有する船長など操船にあたりその任に適する技能を有する者を選任して各部署に適切に配置し、船舶の運行から生ずる危険を防止する義務を負うほか、さらに、冬季ベーリング海という陸上から孤立した危険な労働環境である船舶内で船員を就労させるのであるから、予測される事故発生時に対処し得るよう非常時における部署配置を定め、救命筏の構造や取扱方法について、具体的資料を用意して周知徹底を図るとともに、筏の投下実技訓練を行い、また、筏の取扱担当者を決めてその都度講習を行わせるなど、平素から指導訓練を行い、その所有する船舶の乗組員の生命及び健康を保護するよう配慮すべき信義則上の義務があるものというべきである。
 ところが、被告は、A船の非常部署配置、非常事態対処の具体的方法、手段を定めず、非常事態を想定した訓練も行わずに、これら一切を事実上、乗組員らに任せたまま放置していた。また、被告は、小名浜で行われた膨張式救命筏の実技訓練に協力していたものの、右実技訓練の実施時期はA船の操業時期と重なるため、A船の乗組員らはこの訓練を受けることができなかった。
 また、本件事故の衝突箇所は、A船の三番魚倉で、前後には二箇所の隔壁が設けてあり、水密戸を遮蔽して、浸水を速やかに防止すれば、同船の沈没は、免れたかもしれず、また、救助された乗組員は、いずれもB船とA船が接近した際にB船のフェンダーに移乗したり、B船から投げられた細索にすがって助け上げられたことからすると、本件衝突後速やかにB船がA船に接舷できていれば、より多くのA船乗組員が救助されたであろうことが推認できるところ、B船の接舷が困難になったのは、A船において、船体傾斜が浸水によるものであることに気付きながら、浸水状況を確かめず、増速して右旋回を試み、その間防水措置を講じなかったため、機関室に浸水し、舵を取り戻すことも機関を停止することもできないまま右回頭を続けて船体傾斜が大きくなったからであり、またA船において、衝突後、両舷の膨張式救命筏を行脚のあるまま投下せざるを得なかったのも、機関室への浸水を放置して操縦不能となり停止措置が取れなかったことに起因する。
 したがって、被告がA船内の非常配置を定め、非常事態を想定した訓練を十分に行っていれば、乗組員が各自各様の行為をとることなく、船長の適切な指揮を受けて、各自が非常部署配置について防水措置を速やかに行い、乗組員が救助された蓋然性は高いものというべきである。そして、非常配置措置及び非常事態訓練を被告が怠っていたことは前記認定のとおりであるから、この点、被告に安全配慮義務違反があることは明白であり、そうである以上、筏の型式や救命筏の扱いが実際どのようなものであったとしても、被告は、冬季ベーリング海で被用者である乗組員を操業させるに当たり必要な使用者としての安全配慮を欠如していたものといわなければならない。
 (二) さらに、非常配置表の作成等を行うのは船主より船長の方が適任であるとしても、A船は、五〇〇トン未満の漁船であることは弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件事故当時、船員法一四条の三第一、二項の義務は五〇〇トン以上のものに適用されるにすぎなかったのであるから、被告においてA船の船長に指導して非常配置表の作成を行わせてこれを掲示させ、船内操練の実施を定期的に行うよう指導することは容易なことであり、これを被告は怠り、具体的な指示もせずに単に放置していた以上、前示の安全配慮義務違反の責任は免れないというべきである。