全 情 報

ID番号 07324
事件名 賃金請求控訴事件
いわゆる事件名 日本交通事件
争点
事案概要  タクシー乗務員が、その多くの乗務員によって嫌悪されている夜間専用乗車を拒否する目的で年次有給休暇の時季指定権を行使したとして、欠勤扱いとされ賃金をカットされたことにつき、右賃金カットを違法としてカット分の賃金を請求していたケースで、原審と同様、右時季指定権は権利濫用に当たり違法であるとして棄却された事例。
参照法条 労働基準法39条1項
労働基準法39条4項
民法1条3項
体系項目 年休(民事) / 年休権の濫用
年休(民事) / 年休の自由利用(利用目的) / 年休利用の自由
裁判年月日 1999年4月20日
裁判所名 東京高
裁判形式 判決
事件番号 平成9年 (ネ) 5219 
裁判結果 棄却(確定)
出典 時報1682号135頁/タイムズ1023号169頁
審級関係 一審/07036/東京地/平 9.10.29/平成4年(ワ)2543号
評釈論文 中園浩一郎・平成11年度主要民事判例解説〔判例タイムズ臨時増刊1036〕370頁2000年9月/中窪裕也・ジュリスト1207号167~169頁2001年9月1日
判決理由 〔年休-年休権の濫用〕
 (一) 年次休暇制度と権利濫用の法理
 権利濫用の法理は、一般法理であるから、その適用される分野は何ら限定されるものではないと解されるのであって、年次有給休暇の時季指定権についてはその適用がないと解すべき根拠はない。
 労基法三九条四項は、労働者の時季指定権の行使に対し、使用者が一定の要件のもとに時季変更権を行使することができる旨を定めているが、この規定は、労働者の時季指定権に対抗するための手段として、使用者に対して時季変更権を付与しているにとどまり、使用者としては、時季指定権の行使に対しては、常に時季変更権によって対抗することができるだけであるという趣旨まで含むものではないことは明らかである。
 また、時季指定権についても、これが社会観念上正当とされる範囲を逸脱して行使され、権利の行使として是認することができない場合があり得るのであって、そのような権利の行使が権利の濫用として無効とされることを妨げるべき理由は見いだせない。
 したがって、時季指定権についても、権利濫用の法理の適用があると解するのが相当である。
 そして、時間的余裕を置かない時季指定権の行使は、権利の行使が社会的相当性を欠く一つの場合にすぎないのであって、権利濫用の法理が適用される範囲を、このような場合に限定すべき根拠はない。
 (二) 特定日・特定時季についての年次休暇権行使
 特定日・特定時季(たとえば、月曜日あるいは正月など)に年次休暇をとりたいというのは、その特定の日ないし時季に意味があるのであって、当該日ないし時季に就くべき業務が重要なのではない。すなわち、決して、特定の業務に着目し、これを嫌悪し、その業務への就労を拒否しようとしているのではない。
 ところが、本件のナイト乗務指定日についての時季指定は、これとは異なり、その特定の日ないし時季に意味があるのではなく、まさしく当該指定日における業務に就くことを拒否することを目的とするものであるから、これらを同視する控訴人らの主張が失当であることは明らかである。
〔年休-年休の自由利用(利用目的)-年休利用の自由〕
 (三) 年次休暇の自由利用の原則との関係
 年次休暇の利用目的は労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由である。
 しかし、これは、有効な時季指定権の行使がされた場合にいい得ることであって、時季指定権の行使が権利の濫用として無効とされるときには、年次休暇の自由利用の原則が問題とされる余地はない。
 もっとも、時季指定権の行使が特定業務を拒否する目的であるかどうかを判断するためには、本件における被控訴人らのように、使用者が労働者に対して年次休暇の利用目的を問いただし、労働者がこれに応じた休暇の利用目的を開示することが必要になることが想定されるから、その限度では年次休暇の自由利用の原則に対する制約となる可能性があることは否定できない。しかし、この場合における使用者の質問の目的は、当該時季指定が特定業務を拒否する目的のものであるかどうか、すなわち権利濫用に当たるものであるかどうかを確認するためのものであって、年次休暇の自由利用を制約すること自体を目的とするものではないから、これを確認するための方法が右目的を達成するために必要やむを得ないものであるならば、質問すること自体を不当とすることはできないというべきである。本件において被控訴人らが採用した方法も、必要やむを得ない限度を逸脱したものであるとは認められない。
 以上のとおりであるから、年次休暇の自由利用の原則を根拠にして、時季指定権の行使については権利濫用の法理を入れる余地がない、ということはできない。