ID番号 | : | 08527 |
事件名 | : | 遺族補償給付等及び葬祭料不支給処分取消請求事件 |
いわゆる事件名 | : | さいたま労基署長(日研化学)事件 |
争点 | : | 医薬品・化成品の製造販売会社労働者の自殺につき妻が遺族補償等の不支給の取消しを求めた事案(原告勝訴) |
事案概要 | : | 医薬品・化成品の製造販売会社で品質管理責任者に選任され従事し、うつ病罹患後に自殺した労働者の妻がした遺族補償及び葬祭料の給付請求につき、労基署長の不支給処分を不服として取消しを求めた事案である。 さいたま地裁は、まず業務起因性について、うつ病による自殺の場合には当該業務との間に相当因果関係があることが必要であるとした上で、そのためには、単に業務が他の原因と共働して精神疾患を発病若しくは増悪させた原因であると認められるだけでは足りず、当該業務自体が、社会通念上、当該精神疾患を発病若しくは増悪させる一定程度以上の危険性を内在又は随伴していることが必要であり、本人をめぐる業務上の要因と業務外の要因等とを具体的かつ総合的に検討し、社会通念に照らし判断する必要があり、その際には、平均的労働者を基準としつつも、いわば平均的労働者の最下限の者を含むとした。そして、本件について、まず業務上の要因については、残業や勉強会などについては負荷要因として否定しつつ、第13次薬局方改正に伴う規格書改訂業務が相当の心理的負荷をかけたと認定し、また業務外の要因については、株取引の失敗、夫婦の不仲、飲酒・喫煙、本人の性格、いずれもうつ病の発症・憎悪に決定的な要因となったとはいえないと認定した上で、業務とうつ病との間に相当因果関係があると判断して、労基署長の決定を取り消した。 |
参照法条 | : | 労働者災害補償保険法7条1項1号 労働基準法施行規則別表第1の2第9号 |
体系項目 | : | 労災補償・労災保険/業務上・外認定/業務起因性 労災補償・労災保険/業務上・外認定/自殺 労災補償・労災保険/補償内容・保険給付/遺族補償(給付) 労災補償・労災保険/補償内容・保険給付/葬祭料 |
裁判年月日 | : | 2006年11月29日 |
裁判所名 | : | さいたま地 |
裁判形式 | : | 判決 |
事件番号 | : | 平成15行(ウ)37 |
裁判結果 | : | 認容(控訴) |
出典 | : | 労働判例936号69頁 |
審級関係 | : | 控訴審/東京高/平19.10.11/平成19年(行コ)13号 |
評釈論文 | : | |
判決理由 | : | 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-業務起因性〕 〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-遺族補償(給付)〕 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-自殺〕 〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-葬祭料〕 1 労災保険法における業務起因性の判断について (1) 労災保険給付の対象となる業務上の疾病については、労基法75条2項、同法施行規則35条、同規則別表第1の2に列挙されているが、うつ病は、同表第1ないし8号に該当しないから、その発病が労災保険給付の対象となるためには、同表第9号の「その他業務に起因することが明らかな疾病」に該当することが必要である。ところで、業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには、労災補償制度の趣旨(労働者が従事した業務に内在ないし通常随伴する危険が発現して労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無を問わず、被災労働者の損害を補填するとともに、被災労働者及びその遺族の生活を補償するもの)に照らすと、単に当該業務と傷病等との間に条件関係が存在するのみならず、社会通念上、業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと法的に評価されること、すなわち、相当因果関係があることが必要であると解される(最二小判昭和51年11月12日・裁集民119号189頁参照)。 そして、精神疾患の発病や増悪は様々な要因が複雑に影響し合っていると考えられているが、当該業務と精神疾患の発病や増悪との間に相当因果関係が肯定されるためには、単に業務が他の原因と共働して精神疾患を発病若しくは増悪させた原因であると認められるだけでは足りず、当該業務自体が、社会通念上、当該精神疾患を発病若しくは増悪させる一定程度以上の危険性を内在又は随伴していることが必要であると解される。 (2) うつ病の発病メカニズムについてはいまだ十分解明されていないけれども、現在の医学的知見によれば、環境由来のストレス(業務上ないし業務以外の心理的負荷)と個体側の反応性、脆弱性(個体側の要因)との関係で精神破綻が生じるかどうかが決まり、ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし、逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生じるとする「ストレス―脆弱性」理論が合理的であると認められる。 そこで、業務とうつ病の発病との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっては、発病前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心理的負荷の有無や程度、さらには当該労働者のうつ病に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に検討し、社会通念に照らし、当該業務の当該精神疾患を発病ないし増悪させる一定程度の危険性の有無を判断する必要がある。 なお、その発病自体について業務起因性が認められない場合であっても、発病後に行われた業務が労働者に心理的負荷を与えるもので一定の危険性があり、既に発病していたうつ病が、上述のような他の要因をも総合的に考慮して、社会通念上、当該業務によって増悪したと認められる場合には、やはり業務起因性を認めることが相当と解される。 (3) ところで、労災保険制度の趣旨に照らし、「社会通念上、当該精神疾患を発症若しくは増悪させる一定程度以上の危険性」の判断に当たっては、通常の勤務に就くことが期待されている平均的労働者を基準とすることが相当であるが、労働者の中には一定の素因や脆弱性を有しながらも、特段の治療や勤務軽減を要せず通常の勤務に就いている者も少なからずおり、使用者においてこれらをも雇用して営利活動を行っているという現在の勤務の実態に照らすと、上記の通常の勤務に就くことが期待されている者とは、完全な健常者のみならず、一定の素因や脆弱性を抱えながらも勤務の軽減を要せず通常の勤務に就き得る者、いわば平均的労働者の最下限の者を含むと解するのが相当である。そこで、当該業務が精神疾患を発症ないし増悪させる可能性ある(ママ)危険性ないし負荷を有するかどうかの判断に当たっては、当該労働者のおかれた立場や状況、性格、能力等を十分に考慮する必要があり、このことは、業務の危険性についていわゆる平均人標準説を採用することと矛盾するものではない。〔中略〕 ア 以上の事実によれば、亡太郎は平成5年に品質管理課に配属され、平成8年10月1日に品質管理責任者に、平成9年4月1日に品質管理係長に就任し、これらの昇任の前後を通じて担当業務の内容に大きな変動はなく、表向きはそれなりに検査、品質管理の仕事をこなしてきたが、亡太郎は現場でのトラブル処理に一人では適切な判断ができないことが時々あり、部下等にかなり強い口調で批判されることも一度ならずあって、こうしたことは、品質管理責任者及び品質管理課の筆頭係長である品質管理係長の地位にあった亡太郎のプライドを傷付け、亡太郎の自責、自信喪失につながり、継続的に亡太郎に心理的負荷を与えていたとうかがえる(但し、亡太郎の時間外労働は精神障害発症の一因となるほどの心理的負荷を与えるものとまでは認められない。)。そして、亡太郎は平成8年12月から平成9年3月にかけて株取引で合計約800万円の損失を被り、そのことは亡太郎に相当程度の心理的負荷を与えたと推認され、前記の仕事の重圧、これに亡太郎のうつ病親和的性格も加わって、平成9年8、9月ころから亡太郎には抑うつ気分、判断力低下、集中力低下等のうつ的症状が現れ始めていたところ、亡太郎はE課長から命じられた第13次薬局方改正に伴う規格書改訂及び再試験項目の設定の仕事を何とか平成9年11月26日に予定された自己点検の日までに仕上げなければならないと思い、自宅でワープロ作業をしていたが思うように進まず、徐々に不安感、焦燥感を募らせ、期限の日が迫ってきても作業を終了させる見込みが立たなかったことから、強い心理的負荷を感じ、この結果うつ病を急激に悪化させ、うつ病による希死念慮から、自己点検の当日である平成9年11月26日、発作的に自殺に至ったものと認められる。 イ そして、株取引による失敗も、これまでの亡太郎の株取引の経緯や亡太郎と原告の年収等から亡太郎のうつ病の発症・増悪に決定的なものとまでいえず、このほか亡太郎のうつ病に関し原因となるべき業務以外の出来事による心理的負荷があったと認めるべき事情はうかがわれず、亡太郎の有していたうつ病親和的な性格傾向も未だ平均的労働者の域を超えるものとは認められず、亡太郎やその家族にも精神障害と関連する疾患について既往歴はない。 ウ そうすると、亡太郎のうつ病の発症及び増悪は業務によるストレスが有力な一因となっていると認められるところ、前記アで述べた業務による心理的負荷は、亡太郎の置かれた具体的立場や状況に照らすと、亡太郎に対し、社会通念上、うつ病の発症や増悪の点で一定程度以上の危険性を有するものであったというべきであり、亡太郎のうつ病の発症及び増悪は、上記危険性が現実化したものというべきであるから、業務と亡太郎のうつ病の発症及び増悪との間には相当因果関係を認めるのが相当である。 |