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ID番号 : 08644
事件名 : 遺族補償年金等不支給決定処分取消請求控訴事件
いわゆる事件名 : 松本労働基準監督署長事件
争点 : 出張先のホテルでくも膜下出血により死亡した者の妻が遺族補償年金等不支給の取消しを求めた事案(妻勝訴)
事案概要 : 精密機器メーカーの海外現地法人の技能認定業務に従事していた労働者が、出張先のホテルでくも膜下出血を発症し死亡した事故について、妻からの遺族補償年金・葬祭料の支給申立てを不支給とした労働基準監督署長の処分の取消しを求めた控訴審である。 第一審長野地裁は、労働基準監督署長の判断に誤りはないとして請求を棄却した。これに対し第二審東京高裁は、過重な業務により基礎的病態を自然経過を超えて著しく増悪させ、くも膜下出血を発症したと認められる場合には、業務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したものと評価して、解離性動脈瘤の破裂によるくも膜下出血の業務起因性を認めるのが相当であるとした。その上で、本件においては業務の負荷が基礎的疾患を有する被災者に過重な精神的、身体的な負荷を与えて増悪させ、その結果、解離性脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血が発症するに至ったとみるのが相当であるとして、くも膜下出血の発症と業務との間には相当因果関係があり、被災者は業務上の事由により死亡したものと認定し、不支給処分を取り消した。
参照法条 : 労働者災害補償保険法16条
労働者災害補償保険法17条
体系項目 : 労災補償・労災保険/業務上・外認定/出張中
労災補償・労災保険/業務上・外認定/脳・心疾患等
労災補償・労災保険/補償内容・保険給付/遺族補償(給付)
裁判年月日 : 2008年5月22日
裁判所名 : 東京高
裁判形式 : 判決
事件番号 : 平成19行(コ)149
裁判結果 : 取消(確定)
出典 : 時報2021号116頁
労働判例968号58頁
労経速報2011号3頁
審級関係 : 一審/長野地/平19. 3.30/平成15年(行ウ)10号
評釈論文 :
判決理由 : 〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-出張中〕
〔労災補償・労災保険-業務上・外認定-脳・心疾患等〕
〔労災補償・労災保険-補償内容・保険給付-遺族補償(給付)〕
 1 労災保険法による保険給付である遺族補償年金給付及び葬祭料が支給されるためには、労働者に生じた傷病等が「業務上」(同法7条1項1号、労働基準法75条1項)のものである必要があるところ、労働者の疾病に業務起因性が認められるためには、当該疾病等と労働者が従事していた業務との間に相当因果関係が認められることが必要である(最高裁昭和51年11月12日判決・裁判集民事119号189頁)。また、労働者災害補償保険制度が、業務に内在又は随伴する危険が現実化した場合に、それによって労働者に発生した損失を補填することを目的とするものであることからすれば、上記の相当因果関係が認められるためには、労働者が従事していた業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として、当該疾病が発症したものと認められることが必要である(最高裁平成8年1月23日判決・裁判集民事178号83頁、最高裁平成8年3月5日判決・裁判集民事178号621頁)。  ところで、くも膜下出血を含む脳・心臓疾患は、基礎的病態(動脈瘤ないし血管病変)が、生体が受ける日常的な通常の負荷によって、徐々に進行及び増悪するといった自然経過をたどって発症するものであり、労働者に限らず、一般の人々の間にも普遍的に数多く発症する疾患であるから、業務についても、それが日常的なものにとどまるときは、それにより基礎的病態の増悪があったとしても自然経過の範囲内のものであると考えられるが、一方、業務による過重な負荷が加わることにより、基礎的病態を自然経過を超えて著しく増悪させ、脳・心臓疾患を発症させる場合があることは医学的に広く認知されている。そうだとすると、被災者が過重な業務により、基礎的病態を自然経過を超えて著しく増悪させ、くも膜下出血を発症したと認められる場合には、業務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したものと評価して、被災者の疾病(解離性動脈瘤の破裂によるくも膜下出血)の業務起因性を認めるのが相当である。  2 被災者の従事していた業務内容、労働時間、健康状態等について〔中略〕  ウ 被災者が海外出張をした現地法人には、日本人マネージャーが常駐しており、言語の違い等から意思疎通に問題が生じるような場合には援助をしてもらえる態勢がとられていた。被災者が滞在するホテルから現地法人の工場までの通勤には送迎の車が準備され、海外出張時のホテルも安全性、快適性等の点で特段の問題はなく、被災者の出張先のフィリピン、インドネシアでは日本との時差が1時間ないし2時間程度であり、被災者や同行者の間で時差による身体的不調が問題とされることはなかった。〔中略〕  被災者のアメリカ、チリへの出張はリワーク業務のためであるが、リワーク業務については、製品(パソコン用プリンター)の不具合があるときには、急遽現地に赴いて、不具合箇所の原因究明と改善を行う必要があり、この業務を遂行するには、かなりの知識と技術が要求されるものであり、相当の精神的緊張を伴うものであった。被災者は、平成13年2月10日にフィリピンを出発して、同年3月8日まで中国の現地法人に出張し、主に新製品の品質フォローの作業に従事したが、実際には、様々な問題点や弊害が判明し、リワーク作業も行っている。  被災者が国内勤務の際に従事していた業務は、海外品質データの処理、分析のほか、年間計画に基づき海外現地法人の人材育成計画を実行するための日程調整や教材の検討など海外出張に向けての準備と、終了した海外出張の結果報告のまとめ等であり、被災者が仕事に関しミス、トラブル、遅れ等で悩んでいるような形跡はなかった。〔中略〕  4 認定事実に基づく判断〔中略〕  そこで、被災者が死亡の原因となった解離性動脈瘤破裂によるくも膜下出血が、業務による過重な負荷が加わることにより、この血管病変等を自然経過を超えて著しく増悪させたものかどうかを検討しなければならない。  (2)ア 前記認定事実によれば、被災者の長期的業務について、労働時間、業務内容、勤務体制、国内・海外出張先の労働環境、生活環境などの点をみれば、被災者の心身に特に大きな負荷があったとは窺われない。すなわち、被災者の発症前1か月ないし6か月間にわたっての1か月当たりの時間外労働時間数はいずれも30時間未満であり、土日の休日も確保され、勤務途中に待機時間や仮眠時間等があるわけでもなく、拘束時間が長時間に及ぶということもなかった。〔中略〕 前記認定の事実によれば、被災者は、飲酒習慣があり、会社の健康診断において、飲酒癖に伴うと推定される高脂血症、肝機能障害を指摘され、要治療とされていたほか、くも膜下出血のリスクファクターとなるべき年齢的要素、遺伝的要素を有しており、発症直前の10月2日とその前日である10日3日の夜、相当量のアルコールを摂取していたことが認められる。  しかし、被災者の血圧値は正常で、発症時の年齢は41歳と働き盛りであり、平成13年5月の健康診断時には、身長約171cm、体重69.1kgで普通体重の範囲内におさまっており、会社専属の産業医から、禁酒ないし節酒の指導を受けていたものの、すぐに医療機関を受診しなければならない程度ではないとされ、就業を制限する指示もされていなかったものである。さらに、医学的な知見に照らすと、高脂血症はくも膜下出血の有意なリスクファクターとは認められないとの見解が有力であり、また、飲酒がくも膜下出血を発症する引き金となり得るとされ、頭蓋内嚢状動脈瘤の発生に関して遺伝的要素がリスクファクターとして重視される傾向にあるが、解離性動脈瘤の発生機序については未だ解明されておらず、飲酒や遺伝的要素がその発生要因となるものかどうかは明らかでない状況にあると認められる。〔中略〕  以上検討したところにH医師の意見(書証略)を併せ考慮すれば、本件において、被災者がくも膜下出血を発症した当時、同人の解離性動脈瘤の基礎的な血管病態が、その抱える個人的なリスクファクターのもとで自然の経過により、一過性の血圧上昇等でいつくも膜下出血が発症してもおかしくない状態まで増悪していたとみるのは困難であり、むしろ、被災者はフィリピンやインドネシアでのほぼ連続した出張業務に従事し疲労が蓄積した状態であったところ、インドネシアから帰国後ほとんど日を置かず東京台場でのリワーク作業に従事せざるを得ず、かつ、その業務に従事中、解離性動脈瘤の前駆症状の増悪があったにもかかわらず、業務を継続せざるを得ない状況にあったものであり、それらのことが上記基礎的疾患を有する被災者に過重な精神的、身体的な負荷を与え、上記基礎的疾患をその自然の経過を超えて増悪させ、その結果、解離性脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血が発症するに至ったとみるのが相当である。そうすると、被災者がくも膜下出血により死亡したのはその従事していた業務の危険性が現実化したことによるものということができ、したがって、被災者のくも膜下出血の発症と業務との間には相当因果関係があり、被災者は業務上の事由により死亡したものというべきである。