ID番号 | : | 08884 |
事件名 | : | 賃金請求事件 |
いわゆる事件名 | : | リーマン・ブラザーズ証券事件 |
争点 | : | 外資系証券取引業会社を解雇された社員が株式褒賞相当額の金員等の支払を請求した事案(労働者一部勝訴) |
事案概要 | : | 証券取引業を業とする株式会社Yの社員であったXが、解雇後、雇用契約に基づき、株式褒賞相当額の金員及び遅延損害金の支払いを請求した事案である。 東京地裁は、雇用契約書中に株式褒賞が賞与の一部に含まれるものとして明確に定められていること、給与明細において現金賞与と株式褒賞の数額が区別されてXに通知されていることに照らすと、Yが主張するような任意的・恩恵的給付ではなく、雇用契約の一内容として賃金としての実質を有するものであるとした。その上で、現金通貨払について、Xの自由な意思に基づき合意されたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在するとして、Xの主張を斥けた。2008年度現金賞与に対するXの具体的請求権については、第1レター、第2レターにより定められており、最低保障額としての性質を有するものであって、当該期間継続して勤務することで具体的な請求権となる性質を有し、個別の査定は必要ないとした。また、Xは2008年11月30日付けで解雇され、2008年度賞与の支給日である2009年1月31日時点では在職していないが、支給日在籍要件については、それ自体の合理性は認めつつ、整理解雇事案に関してはその適用は排除されるべきで、その限度で民法90条により無効とした。さらにYの「民事再生法178条による免責」については労働債権としての性質を失わず、事情変更の原則については、親会社の経営破綻を原因とする民事再生申立はYの責めに帰することのできない事由とはいえず適用の余地はないとするなどして、Xの2008年度現金賞与請求のみ認め、それ以外は棄却した。 |
参照法条 | : | 労働基準法115条 労働基準法24条1項 民事再生法178条 民事再生法54条1項 民法90条 |
体系項目 | : | 賃金(民事)
/賃金請求権の発生
/取締役報酬・報奨金 賃金(民事) /賞与・ボーナス・一時金 /支給日在籍制度 |
裁判年月日 | : | 2012年4月10日 |
裁判所名 | : | 東京地 |
裁判形式 | : | 判決 |
事件番号 | : | 平成22(ワ)3396 |
裁判結果 | : | 一部認容、一部棄却 |
出典 | : | 労働判例1055号8頁 |
審級関係 | : | |
評釈論文 | : | |
判決理由 | : | 〔賃金(民事)‐賃金請求権の発生‐取締役報酬・報奨金賃金(民事)〕 2 争点2(被告が、原告に対し、本件株式褒賞相当額について現金をもって支払うべき義務があるか。)について〔中略〕 ア 賃金全額払の原則に関する最高裁判例として、同原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるが、使用者が労働者の同意を得て相殺により賃金を控除することは、当該同意が労働者の自由意思に基づいてなされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときには、同原則に反するものではなく、有効であるとしたもの(最高裁判所平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁)が存するところ、賃金通貨払の原則に関しても、基本的に同様の趣旨が妥当するというべきである(なお、上記判例がその基礎とする最高裁判所昭和48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁(以下「昭和48年最判」という。)は、労働者による退職金請求権放棄の意思表示の効力について、西日本の総責任者の地位にあった当該労働者が、退職後直ちに競争会社に就職することが判明しており、在職中の経費の使用について書面上つじつまの合わない点から会社が疑惑を抱いてその疑惑にかかる損害の一部を填補させる趣旨で退職金請求権の放棄を求めた等の事情があるときは、当該退職金請求権放棄の意思表示は、その自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したものとして有効とすべきであると判示している。これは、当該意思表示を有効と認める上では、当該労働者が、一応、放棄の意思を自由に形成したと認めるに足りる事情があればよいとする見解であり、自由意思に基づくと認めるためには、いささかの不合理性もあってはならないとする見解を排斥したものと解される。)。 イ しかるところ、前記(2)の認定事実によると、被告は、もともと上場企業等に対するアプローチという面で弱点を有していたことから、法人営業部の再構築を図ることを主たる目的として、D社でその点に関し高い実績を挙げた原告を雇用することを意図し、F副社長が自ら交渉を行っている。実際の雇用契約締結に至る交渉の中でも、原告は、被告に対し2年目(2008年度)の雇用保証を条件として要求し、被告において通例認められていなかった上記条件を、2008年度の賞与金額の最低保証という形で認めさせているし、2007年度については、正味の勤務期間が3か月弱という短期間であったにもかかわらず、基本給にして年間3000万円(採用されたのが年度途中であったため、実際に受領したのは600万円であった。)、賞与額にして324万1869米ドルという極めて高額な賞与支給の合意を取り付けており、対等以上の立場において交渉に臨み、極めて有利な条件で雇用契約締結に至っているものである。 また、このような外資系証券会社において、高額の報酬を支給される従業員に対しては、株式褒賞を含める形で賞与を支給することは一般化しており(原告も、本人尋問において、前職のD社を含め、大手の外資系証券会社に同様の制度があることを認めている。)、現金賞与と株式褒賞の割合も概ね半分ずつと、ごく一般的な定め方であったことが認められるし(〈証拠略〉)、原告は、本件雇用契約締結時はもとより、その後本件給与明細(〈証拠略〉)の交付を受けた際にも、何らの異議を述べておらず、報酬中、本件株式褒賞の占める割合についても真意に基づき承諾していたことが推認される。 そして、原告自身、長年証券業界で勤務してきた者であり、株式等に関する知識を十二分に有していた上、原告が、賞与総額の約半分である約1億9000万円という巨額な金額を現金賞与として受領したことからしても、賞与の約半分を株式褒賞の形で支給するからといって、原告の保護に著しく欠けるとまではいえず、通貨払の原則を定めた労基法24条の趣旨に反するとはいえない。さらに、本件雇用契約のような極めて高額な報酬額を約する雇用契約において、株式褒賞を含める形で賞与を支給することは、労働者側に会社の実質的所有者として行動するモチベーションを与えつつ、企業業績が向上し株価が上昇すれば労働者にもメリットをもたらすという意味で合目的な制度であるといえる。 このような点にかんがみると、原告が本件株式褒賞の形で賞与の支給を受けること及びその割合については、原告の自由な意思に基づいて合意されたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在するということができ、これを覆すに足りる的確な証拠は存しない。〔中略〕 3 争点3(原告が2008年度現金賞与に関する具体的請求権を有するか。)について〔中略〕 (2) しかしながら、既に前記2で認定した経緯からも明らかなように、第1レター及び第2レターにより定められた原告の2008年度の現金賞与請求権は、最低保証額としての性質を有するものであって、当該事業年度の勤務の継続により具体的請求権となる性質を有し、その最低保証額を請求する限度では、個別の人事査定を必要としないものと解される。確かに、第1レターには、最低賞与金、株式褒賞及び退職積立金は、平成20年1月31日及び平成21年1月31日ころ確定する旨の記載があり、これは、就業規則33条の適用を当然の前提とする趣旨と理解できないわけではない。しかしながら、賞与の最低額を保証するという趣旨からすれば、実体的権利の発生要件として事業年度中の勤務継続をもって十分というべきであって、個別の人事査定を必要とすると解すべき根拠はない(最低保証額以上の金額を請求するのであれば、個別の人事査定が請求権発生の実体的要件となることはいうまでもない。)。したがって、上記第1レターの記載については、原告が主張するように、一般の従業員と賞与決定、支給のプロセスとスケジュールを合わせる目的で定められたものにすぎず、その具体的権利発生の時期とは関係がないというべきである。 また、後記6のとおり、被告の経営が破綻した後、原告についても、E證券に移籍することを条件として2008年度賞与の支給が保証されていたものであって(同(2)ア、イ)、この点は、同賞与が既にその時点で具体的請求権となっていたと考えるのでなければ、合理的な説明がつかないところである。 (3) したがって、被告の前記主張については、これを採用することができない。 〔賃金(民事)‐賞与・ボーナス・一時金‐支給日在籍制度〕 4 争点4(2008年度賞与について支給日在籍要件の適用があるか。)について (1) 前記前提となる事実(3)のとおり、被告の就業規則33条はいわゆる支給日在籍要件を定めるところ、原告は、平成20年11月30日付けで被告を解雇されていることから、その支給日である平成21年1月31日時点で在籍していないことは明らかである。 (2) そもそも、賞与は、支給対象期間における労働の対償として、賃金としての性質を有しつつも、同時に、功労報奨的な性質や将来の勤務への期待、奨励という側面をも併せ持つもので、会社の業績や各従業員との勤務実績とを考慮して決せられるものである。このように、賞与が、月例の給与債権とはその性質を異にすることからすれば、賞与については、通常の月例賃金とは異なる取扱いを行うことが正当化されるところ、支給日在籍要件は、その受給資格者を明確な基準で定める必要性に基づくものである。また、労働者が任意に退職する場合は、その退職時期を自己の意思により選択することができるし、定年退職の場合などにも給与規程等でその支給時期を予測できることからすれば、このような規定により労働者に不測の損害を与えるともいえない。このような点からすれば、支給日在籍要件それ自体は、合理性があるもので、原則的には有効ということができる。 (3) しかしながら、本件のようないわゆる整理解雇は、労働者自身に帰責事由がないにもかかわらず使用者側の事情により解雇されるものである上、定年退職等のケースと異なりその退職時期を予測できるものでもない以上、上記(2)で説示した内容に照らし、このような場合にまで一律に支給日在籍要件の適用を及ぼすことには、合理的な理由を見出すことができない。しかも、前記3で説示したとおり、原告の本件各請求権は、使用者側の査定によって具体化される一般的な賞与請求権とは異なり、当初から、第1レター及び第2レターにより本件雇用契約の内容として固定化、具体化されているものであって、この点からも、支給日に在籍しないというだけでその具体的権利を喪失させるのは、原告に酷な面がある。 したがって、支給日在籍要件は、本件のような整理解雇事案に関してはその適用が排除されるべきであって、その限度で、民法90条により無効となると解するのが相当である。 |