全 情 報

ID番号 09466
事件名 研修費用返還請求事件
いわゆる事件名 独立行政法人 製品評価技術基盤機構事件
争点
事案概要 (1)本件は、原告(独立行政法人製品評価技術基盤機構)が、化学物質管理センター(以下「化学センター」という。)の職員であった被告を長期派遣研修制度により米国所在の米国有害物質規制法を所管する米国環境保護局(以下「EPA」という。)に派遣する際の研修費用について、被告に「研修の期間の末日の翌日から起算した職員としての在職期間が60月に達するまでの期間に自己都合により退職した場合、機構が支出した総額に相当する金額又は一部を返還すること。」とする誓約書を提出させて条件付き金銭消費貸借契約を締結していた。しかし、被告が上記の所定期間の経過前に原告を自己都合で辞職したため、被告に対し、本件金銭消費貸借契約に基づく貸金返還請求として、研修費用の一部である285万3275円及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた事案である。
(2)判決は、本件金銭消費貸借契約は労基法16条に違反し無効として、原告の請求を棄却した。
参照法条 労働基準法16条
体系項目 労働契約 (民事)/ 9 賠償予定
裁判年月日 令和3年12月2日
裁判所名 東京地
裁判形式 判決
事件番号 令和1年(ワ)14421号
裁判結果 棄却
出典 労働経済判例速報2487号3頁
D1-Law.com判例体系
審級関係
評釈論文
判決理由 〔労働契約 (民事)/ 9 賠償予定〕
(1)研修終了後60月(5年)以内に原告を自己都合により退職した場合には、原告が負担した本件研修費用の一部又は全部を返還するという意思を有し、これを原告に表示したといえるから、原被告間には、被告が原告に対し本件研修費用の一部又は全部を返還する債務を負うが、被告が本件研修の終了後、原告での勤務を5年間継続したときは、原告は被告に対し上記の返還債務を免除する旨の条件付き金銭消費貸借契約が成立したものと認めるのが相当である。
(2)労基法16条は、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」と規定しているところ、同条は、労働者の自由意思を不当に拘束して労働関係の継続を強要することを禁止した規定であるから、使用者である原告が負担した本件研修費用について、労働者である被告が一定期間内に退職した場合に被告にその返還債務を負わせる旨の本件消費貸借契約が「労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約」に当たるものとして同条に違反するか否かも、同契約の前提となる本件研修制度の実態等を考慮し、本件研修が業務性を有しその費用を原告が負担すべきものであるか、本件金銭消費貸借契約に係る合意が労働者である被告の自由意思を不当に拘束し労働関係の継続を強要するものか否かといった実質的な見地から個別、具体的に判断すべきものと解すべきである。
(3)①被告は、自らの意思により本件研修に参加したものといえ、また、派遣時期や米国滞在中のビジネススクールへの通学など被告自身の希望も派遣計画に一定程度反映されていたといえるが、一方で、被告において積極的に海外派遣を原告に求めたものではなく、研修先の選定や研修内容の確定に当たっても被告の意向が反映された形跡はうかがわれず、かえって、原告において、化学センターが取り扱う専門技術的分野に精通し、海外経験も豊富で語学力にも全く問題がなかった被告を長期海外派遣の適任者として選定し、派遣先や研修内容も原告において主導的に調整、決定した上で被告をEPAに派遣したものと認められる。
②本件研修は、実態としては、語学力の獲得や海外経験を積ませることで職能を高めさせるといった被告個人の能力向上のみならず、EPAの取組みを被告に体得させ、また、EPAとの人脈を形成することによって事後の情報交換を容易にすることで、日本の化学物質管理行政の分野における原告のプレゼンスを高めるという組織的目的に基づき実施された面も相当程度あったものと認めるのが相当である。
③被告のEPAにおける本件研修は、形式的には独自の調査研究と原告に対する報告を主とするものとされていたが、これにとどまらず、原告ほかの関係機関からの頻繁な調査研究依頼に対応して化学物質管理に関するEPAの情報を調査検討して報告したり、化学センターが所管する化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律の改正等の情報を米国内の会議で紹介するなどしていたというのであって、その業務内容は原告や所管庁である経産省等の業務に密接に関わるものであり、原告の職員としての業務性も相当程度帯びていたものと認められる。
④これらの業務は、原告における被告の業務内容と深く関係する一方で、化学センターないし経産省における公共政策に関わる非常に専門的な分野に関する経験であるため、必ずしも原告や関係省庁以外の職場や化学物質管理に関する業務以外の業務分野における汎用的な有用性を有するものではなかったということができる。
以上のとおり、本件研修は、派遣先や研修内容の決定について原告側の意向が相当程度反映されており、本件研修を通じて得られた知見や人脈は本件研修終了後の原告における業務に生かし得るものであった一方で、原告や関係省庁以外の職場での有用性は限定的なものであったといえ、一般的な留学とは性質を異にする部分が少なくなかったものと認められる。他方、C所長ほかの原告の職員及び経産省ほかの所管省庁の職員らは、被告に対し、頻繁な調査依頼を行うなどし、被告も、これに対応していたが、これらの調査は、原告及び経産省ほかの所管省庁にとってみれば、その本来業務にほかならないというべきである。このようにみれば、本件研修は、主として原告の業務として実施されたものと評価するのが相当であり、そうであれば、本件研修費用も本来的に使用者である原告において負担すべきものとなるところ、本件金銭消費貸借契約は、本件研修の終了後5年以内に被告が原告を自己都合退職した場合に本来原告において負担すべき本件研修費用の全部又は一部の返還債務を被告に負わせることで被告に一定期間の原告への勤務継続を約束させるという実質を有するものであり、労働者である被告の自由な退職意思を不当に拘束して労働関係の継続を強要するものといわざるを得ないから、労基法16条に違反し無効と解するのが相当である。